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三宮義胤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/25 09:30 UTC 版)

三宮義胤
洋装の義胤
三宮義胤
義胤の葬儀

三宮 義胤(さんのみや よしたね、1844年2月12日天保14年12月24日) - 1905年明治38年)8月14日)は、幕末尊王攘夷派活動家で、明治期の外務官僚・宮内官僚。華族男爵)に列した。幕末期には「三上兵部」と名乗った[1]

生涯

近江国志賀郡真野浜村(現:滋賀県大津市)に、真宗正源寺住職・三上円海の長男として生まれる[2]

幕末の動乱期には尊王攘夷派活動家(志士)として国事に奔走[1][2]岩倉具視らと交流を持ち王政復古運動に参加した[2][1]慶応3年(1867年)には高野山で挙兵[2]戊辰戦争では各地に転戦し[2]、功績があった[3]。明治2年(1869年)には賞典禄として50石が与えられた[2]

兵部省に勤務したのち、明治3年(1870年)には東伏見宮彰仁親王(のちの小松宮)の英国留学に随行する[2]。明治10年(1877年)、外務省に移って駐ドイツ日本公使館に勤務し、明治13年(1880年)に帰国した[2]

明治16年(1883年)宮内省に転じ、要職を歴任。明治17年(1884年)小松宮彰仁親王の随行として渡欧した際に妻と知り合い結婚(後述)[4]。明治28年(1889年)に式部長に昇る[2]日清戦争大本営附となったことが功とされ、1896年(明治29年)6月に男爵を授けられた[3]

明治38年8月14日薨去享年61歳。墓所は文京区護国寺と故郷の正源寺墓地[5]にある。

官歴等

  • 1883年(明治16年) - 宮内省入省
  • 1884年(明治17年)5月16日 - 任 宮内権大書記官[6]
  • 1885年(明治18年)6月3日 - 任 宮内大書記官 兼 式部官[7]
  • 1886年(明治19年)
    • 2月5日 - 任 宮内書記官 兼 皇后宮亮[8]
    • 3月2日 - 兼任 小松宮別当[9]
  • 1887年(明治20年)12月13日 - 調度局長 兼任[10]
  • 1888年(明治21年)
    • 5月16日 - 任 主殿頭 兼 宮内書記官外事課長 兼 皇后宮亮式部官 兼 調度局長、勅任官二等、賜下級俸[11]
    • 6月10日 - 賜上級俸[12]
    • 12月28日 - 兼 調度局長 免官[13]
  • 1889年(明治22年)2月15日 - 免 臨時大膳職勤務[14]
    • 7月23日 - 任 式部次長 兼 皇后宮亮 兼補 外事課長、叙勅任官二等、賜三級俸、帝室制度取調委員[15]
  • 1895年(明治28年)
  • 1903年(明治36年)2月18日 - 故 元帥彰仁親王葬儀掛長[18]

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

家族・親族

妻は、英国キングストン・アポン・ハルの生地商ウィリアム・レイノア(William Raynor)の娘、アレシーア(Alethea Raynor, 1846 - 1919)で[47][48]、日本名を八重野と称した[3]アーネスト・サトウは、アレシアを下宿屋の娘としている[47]。1874年にロンドンのハムステッドの教会で蜂須賀茂韶岩倉具経を立会人に結婚し、1880年に夫に伴い来日[49]。日本では、皇族の妃や華族の女性たちに、西洋の服装や社交上の慣習を助言する役割を果たした[50]

養子として桂秀馬の二男・錫馬を迎え、義胤の死後は錫馬が家督を継いだ[3]。1919年(大正8年)に錫馬が没すると、錫馬の妹の絲(いと)が戸主となったが、女戸主のために1920年(大正9年)に爵位を返上した[3]。なお、絲はそののち古市公威の六男・周六を婿に迎えている[3]

庶子の三上大一郎は時事新報記者を務めた。金田一春彦の妻・珠江の父である。

脚注

  1. ^ a b c 三宮義胤”. 日本人名大辞典+Plus(コトバンク所収). 2014年3月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 三宮義胤”. 朝日日本歴史人物事典(コトバンク所収). 2014年3月19日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 平成新修旧華族家系大成』上、p.702
  4. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、295頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  5. ^ 男爵三宮義胤公 真野の正源寺(公式ホームページ)
  6. ^ 『官報』第263号「賞勲叙任」1884年5月17日。
  7. ^ 『官報』第576号「賞勲叙任」1885年6月4日。
  8. ^ 『官報』第777号「叙任」1886年2月6日。
  9. ^ 『官報』第797号「叙任」1886年3月3日。
  10. ^ 『官報』第1340号「叙任及辞令」1887年12月15日。
  11. ^ 『官報』第1462号「叙任及辞令」1888年5月17日。
  12. ^ 『官報』第1486号「叙任及辞令」1888年6月14日。
  13. ^ 『官報』第1652号「叙任及辞令」1888年12月29日。
  14. ^ 『官報』第1687号「叙任及辞令」1889年2月16日。
  15. ^ 『官報』第1821号「叙任及辞令」1889年7月25日。
  16. ^ 『官報』第3620号「叙任及辞令」1895年7月24日。
  17. ^ 『官報』第3708号「叙任及辞令」1895年11月6日。
  18. ^ 『官報』第5886号「叙任及辞令」1903年2月19日。
  19. ^ 『官報』第301号「叙任」1884年7月1日。
  20. ^ 『官報』第666号「賞勲叙任」1885年9月17日。
  21. ^ 『官報』第907号「叙任及辞令」1886年7月10日。
  22. ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
  23. ^ 『官報』第2541号「授爵叙任及辞令」1891年12月17日。
  24. ^ 『官報』第4046号「叙任及辞令」1896年12月22日。
  25. ^ 『官報』第6326号「叙任及辞令」1904年8月1日。
  26. ^ 『官報』第6638号「叙任及辞令」1905年8月15日。
  27. ^ 『官報』第1473号「叙任及辞令」1888年5月30日。
  28. ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
  29. ^ 『官報』第5393号「叙任及辞令」1895年6月22日。
  30. ^ 『官報』第3950号・付録「辞令」1896年8月27日。p2
  31. ^ 『官報』第3732号「叙任及辞令」1895年12月5日。
  32. ^ 『官報』第2068号「日本赤十字社録事」1890年5月24日。p302
  33. ^ 『官報』第3880号「授爵叙任及辞令」1896年6月6日。
  34. ^ 『官報』第6148号「叙任及辞令」1903年12月28日。
  35. ^ 『官報』第570号「賞勲叙任」1885年5月28日。
  36. ^ a b c d 『官報』第1338号「辞令」1887年12月13日。
  37. ^ a b c d 『官報』第1339号「叙任及辞令」1887年12月14日。
  38. ^ 『官報』第2726号「叙任及辞令」1892年7月29日。
  39. ^ a b 『官報』第3016号「叙任及辞令」1893年7月19日。
  40. ^ 『官報』第3072号「叙任及辞令」1893年9月22日。
  41. ^ 『官報』第3338号「叙任及辞令」1894年8月14日。
  42. ^ 『官報』第3486号「叙任及辞令」1895年2月15日。
  43. ^ 『官報』第3651号「叙任及辞令」1895年8月29日。
  44. ^ a b c d e 『官報』第5811号「叙任及辞令」1902年11月15日。
  45. ^ 『官報』第5888号「叙任及辞令」1903年2月21日。
  46. ^ 『官報』第6515号「叙任及辞令」1905年3月23日。
  47. ^ a b Britain and Japan: Biographical PortraitsHugh Cortazzi 編, Routledge, 2013/05/13
  48. ^ Women Writing JapanThe History of British Women's Writing, 1880-1920: Volume Seven, Holly A. Laird, Springer, 2016/10, p177
  49. ^ 『国際結婚第一号』小山騰、講談社 (1995/12), p149
  50. ^ 長岡祥三「日本協会の創立者アーサー・ディオシー」『英学史研究』第1997巻第29号、日本英学史学会、1996年、11頁、2019年7月11日閲覧 

参考文献

外部リンク

公職
先代
鍋島直大
式部長
1895年 - 1905年
次代
(欠員→)戸田氏共
先代
高崎正風
式部次官
式部次長
1889年 - 1895年
次代
徳川篤敬
先代
堤正誼
閑院宮別当
1893年 - 1895年
次代
花房義質
先代
香川敬三
主殿
1888年 - 1889年
次代
山口正定
先代
堤正誼
調度局長
1887年 - 1888年
次代
麻見義修
先代
(新設)
小松宮別当
1886年 - 1888年
次代
桜井能監
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
三宮(義胤)家初代
1896年 - 1905年
次代
三宮錫馬


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