能久親王とは? わかりやすく解説

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よしひさ‐しんのう〔‐シンワウ〕【能久親王】

読み方:よしひさしんのう

[1847〜1895]皇族北白川宮第2代伏見宮邦家親王の第9王子戊辰(ぼしん)戦争幕府方につき、明治維新後は伏見宮預けられたが、許され北白川宮相続日清戦争には近衛師団長として出兵台湾病死


北白川宮能久親王

(能久親王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 15:30 UTC 版)

北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさしんのう、1847年4月1日弘化4年2月16日〉 - 1895年明治28年〉10月28日)は、日本皇族北白川宮第2代当主。陸軍軍人。幼名は満宮(みつのみや)。最後の輪王寺宮(りんのうじのみや)として知られる。


  1. ^ 広岡、P21 - P24、浅見、P182。
  2. ^ 大総督宮上野輪王寺宮ヲ江戸城ニ招ク」 アジア歴史資料センター Ref.A15071493000 「輪王寺宮病ト称シ登城セス参謀西四辻卿朝命ヲ奉シ上野ヘ出張シタルモ宮病ト称シ対面ナシ故ニ卿空シク帰城ス」 アジア歴史資料センター Ref.A15071493100 
  3. ^ a b c d e f g h 熊野秀一 2013, p. 40.
  4. ^ a b c d e 熊野秀一 2013, p. 42.
  5. ^ 広岡、P25 - P34、浅見、P182 - P183。
  6. ^ 慶応4年4月29日(1868年6月19日)、勝海舟日記に「此頃彰義隊の者等、頻に遊説し、其倍多く、一時の浮噪軽挙をとし、官兵を殺害し、東臺に屯集殆ど四千人に及ぶ、其然るべからざるを以て、頭取已下に説諭すれども、敢て是を用ひず、虚勢を張て、以て群衆を惑動す、或は陸奥同盟一致して、大挙を待と唱へ、或は 法親王を奉戴して、義挙あらむと云、無稽にして無着落を思はず、有司もまた同ずる者あり、甚敷は 君上の御内意なりとして、加入勸むる者あり、是を非といふ者は、虚勢を示して劫さむとす。」と記し、この時点で彰義隊は「陸奥同盟」と一緒に新政府に反乱を起こすことや、輪王寺宮を奉戴して政権奪取することを企図していたことが分かる。また慶応4年閏4月29日の時点で江戸の勝海舟はすでに「陸奥同盟」という言葉を用いており、輪王寺宮を奉戴してのクーデター構想もすでに彰義隊が江戸で喧伝していたことが分かる。 国立国会図書館デジタルコレクション『海舟全集 第九巻 (海舟日記其他)』144~145頁 「海舟日記」閏4月29日 (著者:勝安芳 出版者:改造社 発行:昭和3年(1928年)11月5日) (2018年10月8日閲覧。)
  7. ^ 「日本歴史解禁」(昭和25年)
  8. ^ 「戊辰役の一資料」(『史学雑誌』第61編8号、昭和28年)
  9. ^ 「いわゆる大政改元史料をめぐって」(『秋大史学』14号、1967年/昭和42年)
  10. ^ 藤井徳行「明治元年 所謂「東北朝廷」成立に関する一考察」(「近代日本史の新研究1」)
  11. ^ ニューヨーク・タイムズ 1868年10月18日号に「JAPAN: Northern Choice of a New Mikado(北部日本は新たなミカドを擁立した)」とある。
  12. ^ 中山良昭 2010, p. 50‐51.
  13. ^ a b c 熊野秀一 2013, p. 41.
  14. ^ 輪王寺宮履歴」 アジア歴史資料センター Ref.A15070052000 
  15. ^ 輪王寺宮ノ幽閉ヲ解キ実家ニ復帰セシメ終身禄ヲ賜フ」 アジア歴史資料センター Ref.A15070051800 
  16. ^ 公現親王ヲ有栖川家ニ同居セシム」 アジア歴史資料センター Ref.A15070040700 
  17. ^ a b 「伏見若宮上表 御改名御聴許」太政官日誌、1870.11.4新聞集成明治編年史. 第一卷、林泉社、1936-1940
  18. ^ 伏見能久ニ官号ヲ賜フ」 アジア歴史資料センター Ref.A15070052300 
  19. ^ 伏見宮四男公現ヲ名ヲ能久ト改ム」 アジア歴史資料センター Ref.A15070052200 
  20. ^ 広岡、P34 - P36、浅見、P184 - P185。
  21. ^ 式部寮より北白川宮陸軍少佐に任せらる」 アジア歴史資料センター Ref.C04025412100 
  22. ^ 小田部雄次『皇族 天皇家の近現代史』(中央公論新社〈中公新書〉、2009年)p.70
  23. ^ 「北白川宮御帰朝」朝野新聞、1877.6.27新聞集成明治編年史. 第三卷、林泉社、1936-1940
  24. ^ 広岡、P36 - P38、浅見、P185 - P191。
  25. ^ 往入2681 三品能久王外4方御養子并御名付等の義宮内省廻達」 アジア歴史資料センター Ref.C09101269100 
  26. ^ 広岡、P38、浅見、P148 - P149。
  27. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』2頁。
  28. ^ (伊藤之雄『明治天皇』ミネルヴァ書房 2006年9月10日 303頁)
  29. ^ 広岡、P41 - P44、浅見、P154 - P156。
  30. ^ 日本統治時代に建てられた苗栗の通宵神社は日本建築と中華建築の融合 Taiwanzine 台湾マガジン、2015年4月20日
  31. ^ 明治二十六年六月二十五日笹森儀助『南嶋探験』恵愛堂、1894年
  32. ^ 伊藤正徳『軍閥興亡史 新装版 第一巻』潮書房光人社、11月13日、204頁。 
  33. ^ 『官報』第1051号「叙任及辞令」1887年1月4日。
  34. ^ 『官報』第1928号「宮廷錄事」「彙報 - 大日本帝国憲法発布記念章送付」1889年11月30日。
  35. ^ 『官報』第3707号「叙任及辞令」1895年11月5日。
  36. ^ 『官報』第483号「賞勲叙任」1885年2月13日。
  37. ^ 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。
  38. ^ "The Japanese Community in Pre-War Britain: From Integration to Disintegration" p96 Keiko Itoh, Routledge, 2013/07/04
  39. ^ 『近代日本研究』第11号(慶應義塾福澤研究センター, 1994) p153
  40. ^ 広岡、P38 - P40、浅見、P191 - P192
  41. ^ 浅見、P61 - P66、P191 - P196。


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