山階宮晃親王
山階宮晃親王
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山階宮晃親王(やましなのみや あきらしんのう、 文化13年9月2日(1816年10月22日) - 明治31年(1898年)2月17日)は、日本の皇族。伏見宮邦家親王の第1王子。勧修寺宮済範親王。二品。
注釈
出典
- ^ 浅見雅男 2016, pp. 89–90.
- ^ 浅見雅男 2016, p. 89.
- ^ a b 浅見雅男 2016, p. 90.
- ^ 浅見雅男 2016, pp. 90–91.
- ^ 浅見雅男 2016, p. 91.
- ^ 浅見雅男 2016, p. 92.
- ^ 浅見雅男 2016, p. 24,92-93.
- ^ 浅見雅男 2016, p. 93.
- ^ 浅見雅男 2016, pp. 67, 95.
- ^ 浅見雅男 2016, p. 96.
- ^ 浅見雅男 2016, pp. 96–97.
- ^ 浅見雅男 2016, p. 99.
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1頁。
- ^ 山口輝臣 2018, p. 249.
- ^ 山口輝臣 2018, pp. 247–249.
- ^ 山口輝臣 2018, p. 250.
- ^ 大角修『天皇家のお葬式』講談社 <講談社現代新書>、2017年、151-153頁。ISBN 978-4-06-288450-1。
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)
- ^ 『官報』第1051号「叙任及辞令」1887年1月4日。
- ^ 『官報』第1928号「宮廷錄事」「彙報 - 大日本帝国憲法発布記念章送付」1889年11月30日。
- 1 山階宮晃親王とは
- 2 山階宮晃親王の概要
- 3 血縁
山階宮晃親王
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詳細は「山階宮晃親王」を参照 初代晃親王は文化13年(1816年)に誕生。初名は清保。その翌年、京都山科にある門跡寺院・勧修寺を相続した。文政7年(1824年)に出家し、済範(さいはん)入道親王と称した。元治元年(1864年)徳川慶喜らが還俗を孝明天皇に願い、勅許をもって、改めて親王宣下と共に、山階宮の宮号を賜った。宮号は、山科の地名にちなんだものである。 晃親王は、国事御用掛として幕末の政界で活躍し、明治維新後は、議定・外国事務総督などの要職を占めた。皇族がヨーロッパの王室に倣って軍人になる中、文官であることを通した。1898年(明治31年)2月、83歳で薨去した。
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