秩父宮雍仁親王
秩父宮雍仁親王
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秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう、1902年〈明治35年〉6月25日 - 1953年〈昭和28年〉1月4日)は、日本の皇族。大正天皇と貞明皇后の第二皇子。明治天皇の皇孫にあたる。昭和天皇は兄、長弟に高松宮宣仁親王、次弟に三笠宮崇仁親王がいる。第125代天皇明仁は甥、第126代天皇徳仁と秋篠宮文仁親王は大甥にあたる。
- ^ 宮内庁 旧秩父宮
- ^ 皇室略牒 宮内省図書寮
- ^ a b わが武寮 1982 p.515
- ^ a b c わが武寮 1982 p.413
- ^ a b c 『昭和史の謎を追う〈上〉』文藝春秋、1999年。ISBN 4167453045。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、31頁。
- ^ 『官報』第1499号「叙任及辞令」1931年12月28日。p.742
- ^ 『官報』第1476号「叙任及辞令」1931年11月30日。p.701
- ^ “旧弘前偕行社”. 旧弘前偕行社の歴史. 2020年9月28日閲覧。
- ^ 原武史、保坂正康『対論 昭和天皇』文春新書、2004年
- ^ 『秩父宮雍仁親王』
- ^ 『昭和天皇独白録』文藝春秋、1995年。ISBN 4167198037。
- ^ 「秩父宮 軍紀の乱れ懸念/日中戦争初期の書簡」『読売新聞』朝刊2020年11月15日1面
- ^ 「秩父宮書簡 真摯な姿示す/保坂正康氏に聞く」『読売新聞』朝刊2020年12月2日(文化面)
- ^ 『官報』第5822号(昭和21年6月13日)
- ^ 【TBSスパークル】1953年1月4日 秩父宮様なくなる(昭和28年) TBSスパークル映像ライブラリー
- ^ 1953年1月12日『朝日新聞』夕刊「氷雨のなか故秩父宮御葬儀 告別に人波二万五千」
- ^ 1953年1月12日『朝日新聞』夕刊「豊島岡へのしめやかな葬列 妃殿下の頭上らず」
- ^ 1953年1月10日『朝日新聞』「陛下はなぜお出にならぬか 親王葬儀御参列は“異例”」
- ^ 『官報』第4438号 付録「辞令二」1941年10月23日
- ^ 山階会『山階宮三代 下』P.291
- ^ 歴史・沿革 (公財)日本ラグビーフットボール協会
- 1 秩父宮雍仁親王とは
- 2 秩父宮雍仁親王の概要
- 3 栄典
- 4 皇位継承順位第1位
- 5 関連項目
固有名詞の分類
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