橿原神宮とは? わかりやすく解説

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かしはら‐じんぐう【橿原神宮】

読み方:かしはらじんぐう

奈良県橿原市にある神社。旧官幣大社祭神神武天皇・媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)。明治22年(1889)に創建社地は、神武天皇即位した畝傍橿原宮(うねびのかしはらのみや)のあとという。


かしはらじんぐう 【橿原神宮】


橿原神宮

読み方:カシハラジングウ(kashiharajinguu)

別名 大明神さん

教団 神社本庁

所在 茨城県ひたちなか市

祭神 神武天皇 ほか


橿原神宮

読み方:カシハラジングウ(kashiharajinguu)

教団 神社本庁

所在 奈良県橿原市

祭神 神武天皇 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

橿原神宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/03 23:09 UTC 版)

橿原神宮

外拝殿と畝傍山
所在地 奈良県橿原市久米町934
位置 北緯34度29分18秒 東経135度47分10秒 / 北緯34.48833度 東経135.78611度 / 34.48833; 135.78611 (橿原神宮)座標: 北緯34度29分18秒 東経135度47分10秒 / 北緯34.48833度 東経135.78611度 / 34.48833; 135.78611 (橿原神宮)
主祭神 神武天皇
媛蹈鞴五十鈴媛命
社格 官幣大社
勅祭社
別表神社
創建 1890年明治23年)
札所等 神仏霊場巡拝の道第33番(奈良第20番)
例祭 2月11日(紀元祭)
地図
橿原神宮
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橿原神宮と畝傍山周辺の空中写真。
画像中央畝傍山の南南東麓に橿原神宮。畝傍山北北東麓に見える正方形状の区画が神武天皇陵。1985年撮影の2枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。
内拝殿
表参道

橿原神宮(かしはらじんぐう)は、奈良県橿原市久米町にある神社。旧社格官幣大社勅祭社。現在は神社本庁別表神社畝傍山の麓にあり、神武天皇畝傍山東北陵の南にある。神武天皇が即位した地であるとされ、また皇居であったという畝傍橿原宮[1]の推定地に創建されている[2]。 面積は約53万平方メートル[3]社務所に当たる組織は橿原神宮庁と呼ばれる[4]

正月三が日の参拝者数は県内最多の101万人(2016年現在)[5]。近代の創建ではあるが、奈良県内では春日大社と並んで初詣の参拝者数が多い神社である。ほかにも、勅使参向のもと紀元祭が行われる2月11日建国記念の日)や、神武天皇祭が行われる4月3日、および奉祝行事「春の神武祭」の開催期間にも多くの参拝者が訪れる。

畝傍山東麓は北側が神武天皇陵(畝傍山東北陵)[6]、南側が橿原神宮となっている。県道125号を隔てて東側は奈良県立橿原公苑として整備されている。橿原公苑野球場橿原公苑陸上競技場が設置されており、各種スポーツ競技の奈良県予選決勝の舞台として利用されている。また、公苑に隣接する施設として奈良県立橿原考古学研究所および付属博物館がある。また、付近は神武天皇陵の他にも多数の陵墓が存在する。

祭神

歴史

1889年明治22年)に初代天皇である神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる橿原の地に、神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛命を祀るための神宮を創建することを民間有志が請願すると、明治天皇は深く感銘を受けられ[1]、同年のうちに明治政府によって神社の創建が認可された[7]

そこで天皇は、京都御所内の天照大神が祀られていた1855年安政2年)に建てられた賢所(内侍所)を新たに作られる神社の本殿とし[8]新嘗祭が執り行われていた神嘉殿(しんかでん)を拝殿として[1]1890年(明治23年)1月に下賜し、当地に移築された[7]。なお、他の建物の設計は、東京帝国大学(現・東京大学)名誉教授を務めた伊東忠太によって行わている[9]。こうして、当社は同年4月2日官幣大社橿原神社として創建された[1]4月22日には昭憲皇太后が参拝に訪れている[10]。建当初の名は橿原神社であったが、同年中に神宮号宣下を受けて橿原神宮に改称された[10]

1898年(明治31年)に日清戦争の勝利を記念して神武天皇陵が整備拡張された。1912年大正元年)には「橿原神宮第一次拡張計画」が発表され、工事(約70万円)のほとんどを寄付で賄うとし、1915年(大正4年)から1920年(大正9年)までの6か年に亘り国費が支出されている。また、1921年(大正10年)には追加下付が行われている[7]

1922年(大正11年)の第45回帝国議会では衆議院議員の高草美代蔵が「第一次拡張のみでは完成には程遠いうえ、橿原神宮は伊勢神宮明治神宮と比べ規模が小さすぎる。神域の尊厳を保つためにも第二次拡張を行うべき」として建議案を提出し、満場一致で可決され[7]、予算として527万円が与えられた。しかし翌年の1923年(大正12年)に発生した関東大震災によって予算を割けない状況になり[7]、最終的に国庫から支出されたのは33万円であった[10]。しかし、奈良県により橿原神宮外苑ともいえる畝傍公園が設置され、公園は宮域の尊厳と風致の保存に役立つこととなった[7]。整備事業は1926年(大正15年)に竣成し、創建当初の2万159坪であった宮域は約1.8倍の3万6,600坪にまで拡張された[7]

鎮座50年にあたる1940年昭和15年)はちょうど神武天皇即位2,600年にあたるため、それに合わせて国を挙げての奉祝記念事業として社殿の修築、境域と神武天皇陵の拡張整備、駅舎(現・近鉄橿原神宮前駅)や線路の移設などが計画された。このうち境域の拡張と外苑の建設は明治神宮の外苑にならって勤労奉仕で行われることになり、建国奉仕隊が組織された。解散までの作業日数はのべ500余日、7,200団体、のべ121万4,000余人が奉仕に参加した[7]。なお、宮域の造成に約7万6,000余本の樹木が植栽されたが、そのうち2万2,000余本は全国から寄せられた献木であった。植栽にあたっては郷土の木をもって構成することとし、橿原の地名から昔はカシの木が生い茂っていたことが発掘調査により推測されることから、カシ類を主として昔の姿に還元することを目標とされた[7]

こうして1940年(昭和15年)を迎えたが、正月三が日の参拝者数は125万人を数えた。2月11日の紀元節には紀元二千六百年奉祝紀元節記念大祭が挙行されて約70万人が参拝し、空前の盛り上がりをみせた。6月11日には昭和天皇が当社に行幸している。その後も、外苑運動場での東亜競技大会や各種団体の全国大会、奉祝行事が続き、橿原の地は紀元2600年でわきたった[7]。また、秋には日本各地で紀元二千六百年奉祝式典が挙行された。この年の当社の参拝者は約1,000万人に達したという。 1948年(昭和23年)に神社本庁別表神社に加列された。

1954年(昭和29年)に神社本庁の通達に基づき紀元祭を復活[11]

2016年平成28年)に神武天皇二千六百年大祭が行われた[12]天皇(現・上皇明仁皇后(現・上皇后美智子が参列し、その際に銅鏡を贈る意向を示し、2018年(平成30年)に河相周夫侍従長から橿原神宮へ銅鏡「橿原の杜」と鏡箱が贈られている[13]

橿原神宮創建の経緯

江戸時代元禄年間(1688年 - 1704年)にまとめられたとされる『志願問答』には、「下賀茂神社の社」には神武天皇を祭っているとの説があるが世間の人は知らない秘説なので、神武天皇の神廟を新たに創ることを提起していた[14]。また「元禄十一年」(1698年)の序をもつ森尚謙『欽乞興造太祖神武天皇神殿之表』にも神武天皇を祭る神社の創建が提示されている[15]

江戸時代末期の文久3年(1863年)に中世以降不明となっていた神武天皇陵が治定されると[16][7]1876年(明治9年)には神武天皇即位の地である橿原宮を特定するための調査が奈良県高市郡高取村西内成郷によって開始され[17]、これに南葛城郡大正村の奥野陣七が協力して畝傍山東南山麓の「御宮趾ト言ヒ伝」えのある今の橿原神宮鎮座地を特定し1888年(明治21年)2月に奈良県を通じて内務省に「橿原御宮趾保存之義ニ付建言」を提出した[18]。内務省から要請を受けた奈良県が実地調査を踏まえた追加調査を行った結果、西内の建言の正確性が認められ、宮内省が再度、実地検分を行い「神武天皇橿原宮旧跡」を同省で保存することが決まり宮内省が土地を買収した。また西内も独自に買い上げた土地を献納した[19]

また1881年(明治14年)には大伴建蔵を総裁とした一団が神武天皇陵内に拝殿の建設を計画していた[20]1882年(明治15年)には畝火山東北に設立された畝傍(畝火)教会が神武天皇と皇祖天神を祀る神廟建設運動を展開し、1891年(明治24年)4月2日には橿原神宮御鎮座記念の私祭において巫女神楽を奉納した。畝傍教会による神楽・倭舞奉納は恒例となり1903年(明治36年)まで活動した[21]

橿原神宮と周辺環境

この地域の開発が進んだ際、元々周辺に存在していた村が「負傷醜ろうナル家屋ノ見下スコト」(奈良県行政文書『神苑会関係書類』)の不都合により、奈良県によって移転させられたという(高木博志『近代天皇制と古都』に詳しい)[22]

橿原神宮を描く切手

前述のように1940年(昭和15年)には紀元二千六百年記念行事が大々的に行われたが、当時の逓信省(現・総務省日本郵政グループなど)は「紀元二千六百年記念」の切手として同年の11月10日に20銭切手を発行した[23]。この額面は当時の国際郵便書状基本料金のための高額切手であった。

紀元2700年に向けた境内特別整備事業

紀元2700年に当たる2040年に向けて、境内の整備事業が行われている。主に文化殿や表参道周辺の整備が行われている[24]

年表

  • 1890年(明治23年)3月 - 橿原神宮創建(官幣大社)[25]
  • 1902年(明治35年)7月 - 橿原神宮本殿重要文化財指定[25]
  • 1904年(明治37年)2月 - 橿原神宮御饌殿重要文化財指定[25]
  • 1923年(大正12年)12月 - 吉野鉄道橿原神宮前駅 - 吉野口駅間が開業[25]
  • 1924年(大正13年)11月 - 吉野鉄道の橿原神宮前駅 - 畝傍駅間が開業[25]
  • 1934年(昭和9年)10月 - 神武天皇御東遷記念二千六百年祭[25]
  • 1939年(昭和14年)11月 - 橿原神宮本殿遷座[25]
  • 1940年(昭和15年)
    • 2月 - 橿原神宮外苑橿原道場(建国会館、運動場、大和国史館など)創立式[25]
    • 6月 - 昭和天皇が橿原神宮畝傍御陵に行幸[25]
    • 11月 - 紀元二千六百年奉祝式典[25]
  • 1967年(昭和42年)6月 - 橿原神宮本文華殿重要文化財指定[25]

境内

  • 本殿(重要文化財) - 1855年安政2年)に建てられた京都御所賢所(内侍所)を1890年明治23年)に移築したもの。2015年平成27年)2月より1年をかけて約40年ぶりに檜皮の葺き替え工事が行われた[8]
  • 幣殿 - 1939年昭和14年)建立[8]
  • 内拝殿 - 1939年(昭和14年)建立。内拝殿の左右に廻廊をつけ、前方へ外院斎庭(げいんのゆにわ)を囲んで外拝殿を置く「二重拝殿型」の形式で建てられている。これは大規模神社の祭祀を考え、様々な規模や形式の祭典に柔軟かつ効果的に対応できるよう昭和10年代に導入され、近代に建築された神社に適用されたものである[26]
  • 外院斎庭(げいんのゆにわ) - 3,200平方メートル(約970坪)ある[26]
  • 儀式殿 - 1973年(昭和48年)、第60回式年遷宮の際に伊勢神宮内宮の四丈殿(よじょうでん)が下賜され、移築された[27]
  • 神饌所
  • 廻廊
  • 外拝殿 - 1939年(昭和14年)建立[26]
  • 土間殿 - 1931年(昭和6年)に新たな拝殿として西岡常一によって作られたが、1939年(昭和14年)に新たな拝殿として外拝殿が建立されることとなり、現在地へ移されて「土間殿」となった[28]
  • 北神門 - もとは正門として1915年大正4年)に建立された平唐門で、紀元2600年事業で1939年(昭和14年)の南神門建立に際し、北神門として現在地に移された[29]
  • 斎館 - 1891年(明治24年)に建てられた橿原神宮庁(社務所)宮司室が、1940年(昭和15年)に移築、改築されたもの。当社の神職が祭典に際し潔斎・参籠する建物[30]
  • 勅使館 - 紀元祭のために勅使が参籠・潔斎する建物として1917年(大正6年)建立。創建当時は貴賓館としての機能も備えていた[30]
    • 庭園 - 白洲・池・築山という要素を取り入れた寝殿造庭園を模した形式[30]
  • 神楽殿 - 1855年(安政2年)に建てられた京都御所神嘉殿を1890年(明治23年)に移築して拝殿としていたものを、1931年(昭和6年)に再び移築して神楽殿としていたが、1993年(平成5年)に焼失した。現在の建物は1996年(平成8年)6月に再建されたものである。祈祷や結婚式等が行われている[31][32]
  • 参集所 - 2012年(平成24年)に改修。
  • 南神門 - 1939年(昭和14年)建立[29]
  • 祓所(はらえど)
  • 深田池 - 飛鳥時代に造成されたという境内南部にある池。面積約4万9500平方メートル[33][34]
  • 神饌田
  • 祈祷殿 - 1998年(平成10年)建立。主に交通安全祈祷を行う[35]
  • 社務所(橿原神宮庁) - 1939年(昭和14年)建立[36]
  • 貴賓館 - 1939年(昭和14年)建立。特に1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)にかけては皇族をはじめ、多くの政府関係者や各国視察団が参拝し、その折に貴賓館が休憩の場として利用された。現在は当社の諸行事や結婚式披露宴会場として使用されている[37]
  • 橿原神宮会館 - 1980年(昭和55年)築[38]
  • 奈良県神社庁
  • 文華殿(重要文化財) - もとは天保15年(1844年)に建てられた織田氏の旧柳本陣屋大書院および玄関で、1877年(明治10年)4月以降は柳本小学校の校舎として使用されていたものを、1967年(昭和42年)に現在地に移築した。重要文化財指定名称は「旧織田屋形大書院・玄関」[39]
  • 崇敬会館 - 2000年(平成12年)築[40]
    • 養正殿 - 館内にはブライダルサロンが併設され、披露宴会場としても利用される[40]
    • 宝物館 - 宝物館は橿原神宮創建以来、奉納された祭神ゆかりの鏡・刀剣・絵画等、至宝の名品が展示されている[41][40]
    • Café橿乃杜(かしのもり) - 2022年令和4年)7月オープン[40]
  • ストリートファイター・ケンの像 - カプコンの創業者である辻本憲三橿原市の出身であることから橿原市は2022年(令和4年)にカプコンと包括連携協定を結び、当地にストリートファイターのキャラクターであるケンの銅像が設置された。なお、近鉄大和八木駅前にはリュウ、市役所分庁舎前には春麗の像が置かれている[42]
  • 森林遊苑 - 大正時代の宮域規模拡張事業において外苑としての役割を持つ畝傍公苑として整備されたもの。1954年(昭和29年)からは森林遊苑として一般に開放されている[43]
  • 若桜友苑 - 日本海軍航空母艦レイテ沖海戦で沈没した空母瑞鶴の慰霊碑などがある[44]
  • 参道
    • 一の鳥居(表参道) - 第一鳥居、高さ9.77メートル、幅約7.5メートル[45]
    • 神橋(表参道) - 二の鳥居の手前を横切る宮川を渡る反り橋として架かっており、両側には平橋がある[46]
    • 二の鳥居(表参道) - 第二鳥居、高さ10.51メートル、幅約8.1メートル[45]
    • 北の鳥居(北参道)
    • 西の鳥居(西参道)

摂末社

文化財

重要文化財

  • 本殿[8]
  • 旧織田屋形 2棟
    • 大書院
    • 玄関

他に安政2年(1855年)建立の京都御所神嘉殿を創建に際して移建した神楽殿(御饌殿)も重要文化財に指定されていたが、1993年平成5年)2月4日の火災で焼失した[31][32]

奉納された近現代作者の絵画

  • 横山大観作「正気放光」[41]、76.3×119.5cm、1940年(昭和15年)に奉納。
  • 堂本印象作「橿原の図(若き武人)」[41]、50×36cm、1940年(昭和15年)に奉納。
  • 中国人水墨画家謝春林作「富士雄姿」、六曲二双山水画屏風、800×200cm、1994年(平成6年)に奉納[48]
  • 小泉守邦作「黎明神光」など計9点[49]

主な年中行事

このうち紀元祭は1年の祭りの中で最も重要な祭りであり、勅使参向のもとで行われる。この日の参列者は4千人にものぼる[50]

年中行事の報道

毎年2月11日の紀元祭は、MBSテレビABCテレビといった地元メディアによって、近畿圏のローカルニュースとして報道されることが多い。また、2013年(平成25年)2月21日(木)のBSジャパン『GRACE of JAPAN』(21:00-21:54)で特集報道された[51]

マスコットキャラクター

マスコットキャラクターとして八咫烏がモデルとなったカーコちゃんとやたちゃんがいる。主に七五三の時期(11月の土日祝日など)に神域内に現れる[52]

前後の札所

神仏霊場巡拝の道
32 當麻寺 - 33 橿原神宮 - 34 安倍文殊院

所在地

  • 奈良県橿原市久米町934

アクセス

周辺

脚注

  1. ^ a b c d 橿原神宮について.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  2. ^ 畝傍橿原宮」『デジタル大辞泉,日本大百科全書(ニッポニカ),山川 日本史小辞典 改訂新版』https://kotobank.jp/word/%E7%95%9D%E5%82%8D%E6%A9%BF%E5%8E%9F%E5%AE%AEコトバンクより2024年5月2日閲覧 
  3. ^ 橿原神宮”. 橿原市 (2023年4月4日). 2024年5月2日閲覧。
  4. ^ 橿原神宮庁(社務所)”. 橿原神宮. 2024年5月1日閲覧。
  5. ^ 三が日参拝客244万人 県内5社寺 暖かい気候で前年比増”. 産経新聞 奈良県専売会 (2016年1月5日). 2024年5月2日閲覧。
  6. ^ 畝傍山東北陵 宮内庁
  7. ^ a b c d e f g h i j k 橿原神宮の歴史.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  8. ^ a b c d 本殿・幣殿.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  9. ^ 美人山「畝傍(うねび)」を背に広がる昭和神宮建築の粋 橿原(かしはら)神宮(奈良県)”. 銅屋根クロニクル. 一般社団法人 日本金属屋根協会. 2024年4月30日閲覧。
  10. ^ a b c 勝井辰直「橿原神宮の造営と拡張」『高円史学』第1巻、高円史学会、1985年10月、44-49頁、CRID 1050845762493852160hdl:10105/8617ISSN 0914-51762024年7月1日閲覧 
  11. ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、61頁。 ISBN 9784309225043 
  12. ^ 3日に100年ぶり神武天皇2600年大祭 2日は奉納土俵入り 橿原神宮 ”. 産経新聞 (2016年4月2日). 2024年5月2日閲覧。
  13. ^ 両陛下、橿原神宮に銅鏡贈る”. 時事通信社 (2018年3月19日). 2018年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月2日閲覧。
  14. ^ 清水潔 2020, p. 223.
  15. ^ 清水潔 2020, pp. 222–223.
  16. ^ 【宝物館企画展】神武天皇陵と天誅組 -幕末・明治の橿原-”. 橿原神宮ウェブサイト. 橿原神宮. 2024年8月2日閲覧。
  17. ^ 清水潔 2020, p. 309.
  18. ^ 清水潔 2020, p. 310.
  19. ^ 清水潔 2020, p. 311.
  20. ^ 清水潔 2020, p. 312.
  21. ^ 清水潔 2020, p. 313.
  22. ^ 奈良県)神武天皇陵見下ろす 橿原・洞集落移転から100年 「強制的だった」 部落解放同盟全国連の三宅さん研究成果、発表”. ニュース「奈良の声」 (2020年3月25日). 2024年5月2日閲覧。
  23. ^ 紀元2600年 20銭: 日本切手”. スタマガネット. 郵趣サービス社. 2023年2月7日閲覧。
  24. ^ 境内特別整備事業”. 橿原神宮. 橿原神宮. 2024年5月3日閲覧。
  25. ^ a b c d e f g h i j k 略年表”. 橿原市. 2024年12月11日閲覧。
  26. ^ a b c 内拝殿・外拝殿.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  27. ^ 儀式殿.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  28. ^ 土間殿.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  29. ^ a b 南神門・北神門.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  30. ^ a b c 勅使館・斎館.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  31. ^ a b 神楽殿.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  32. ^ a b 橿原神宮神楽殿焼失”. 美術界年史(彙報). 国立文化財機構 東京文化財研究所 (2020年12月11日). 2020年12月11日閲覧。
  33. ^ 深田池”. 賀詞の会 橿原神宮の結婚式. 2013年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月31日閲覧。
  34. ^ 深田池.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  35. ^ 祈祷殿.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  36. ^ 橿原神宮庁(社務所).橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  37. ^ 貴賓館.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  38. ^ 橿原神宮会館.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  39. ^ 文華殿.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  40. ^ a b c d 崇敬会館(養正殿・宝物館・Café 橿乃杜).橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  41. ^ a b c 宝物館”. 橿原神宮. 2025年3月26日閲覧。
  42. ^ 『ストリートファイター』ケン銅像除幕式・清祓斎行の御報告.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  43. ^ 森林遊苑.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  44. ^ 若桜友苑.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  45. ^ a b 大鳥居(橿原神宮)”. 橿原・高市広域行政事務組合 (2012年4月1日). 2013年8月31日閲覧。
  46. ^ 神橋”. 賀詞の会 橿原神宮の結婚式. 2013年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月31日閲覧。
  47. ^ a b 長山稲荷社.橿原神宮、2026年1月22日閲覧。
  48. ^ 朝日新聞1994年7月13日 夕刊 奈良
  49. ^ 聖なる画家小泉守邦画伯 橿原神宮作品奉納報告祭”. Excite Blog. 川越美人倶楽部 (2012年3月12日). 2013年8月6日閲覧。
  50. ^ 紀元祭”. 橿原神宮. 2024年5月3日閲覧。
  51. ^ BSジャパン『GRACE of JAPAN』第四十六回放送「橿原神宮」[1]
  52. ^ 七五三”. 橿原神宮ウェブサイト. 橿原神宮. 2024年4月4日閲覧。

参考文献

  • 『神武天皇論』清水潔監修、橿原神宮庁、2020年。百三十年記念出版。
  • 『橿原神宮史 続編』田浦雅徳監修、橿原神宮庁、2020年
    • 「橿原神宮史」全3冊、1981年-1982年刊

関連図書

関連項目

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