いちのみや【一宮】
一宮 (いちのみや)
一宮(いちのみや)
一宮(桜山慈俊挙兵伝説地)
名称: | 一宮(桜山慈俊挙兵伝説地) |
ふりがな: | いちのみや(さくらやまこれとしきょへいでんせつち) |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 広島県 |
市区町村: | 福山市新市町 |
管理団体: | 福山市(昭10・6・26) |
指定年月日: | 1934.03.13(昭和9.03.13) |
指定基準: | 史8 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 備後國一宮吉備津神社ヲ中心トセル丘陵ニアリ元弘元年八月後醍醐天皇笠置ニ潜幸シ給フヤ櫻山四郎入道慈俊コノ地ニ籠リテ義旗ヲ擧ゲ笠置落城ノ後 慈俊其ノ一族郎黨ト共ニ自殺セシ處ナリト傳フ後方ニ鳶尾山アリモト山頂ニ櫻山靈社ヲ祭リタリトイフ規模大ナラズ ト雖モ蘆品郡一帯ヲ眼下ニ展開セル要害ノ地タリ |
一宮
読み方:イチノミヤ(ichinomiya)
一宮
読み方:イチノミヤ(ichinomiya)
一宮
読み方:イチノミヤ(ichinomiya)
所在 岡山県岡山市
一宮
読み方:イチノミヤ(ichinomiya)
一宮
一宮
一宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/22 09:44 UTC 版)
一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。一の宮、一ノ宮、一之宮などとも書く。
- ^ a b c 吉井良隆 『「一宮」の選定とその背景』 は 現代神道研究集成編集委員会編 『現代神道研究集成 第2巻 神道史研究編I』 (株)神社新報社 1998年6月 ISBN 9784915265280 に所収。
- ^ a b c 井上寛司 『中世諸国一宮制研究の現状と課題』 より。井上寛司 『中世諸国一宮制研究の現状と課題』 は 中世諸国一宮制研究会編 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 (有)岩田書院 2000年2月 に所収。
- ^ 橘三喜 『諸国一宮巡詣記』 は 佐伯有義 編 『神祇全書 第2輯』 皇典講究所 1907年2月 に所収。
- ^ a b 伴信友 『神社私考』 は、しばしば一宮研究書に引用される。『神社私考』は 佐伯有義 編 『神祇全書 第1輯』 皇典講究所 1906年10月 に所収。
- ^ a b c 水谷 類 『国司神拝の歴史的意義』 は 現代神道研究集成編集委員会編 『現代神道研究集成 第2巻 神道史研究編I』 (株)神社新報社 1998年6月 に所収。
- ^ 『平安遺文』320号。
- ^ 同様の記述が 宮地直一 『神道史 上巻』 に見られる。宮地直一 『神道史 上巻』 は 宮地直一 『宮地直一論集 第5巻 神道史序説 神道史1』 蒼洋社 1985年 に所収。
- ^ 石井 進 『中世成立期の軍制』 は 石井進著作集刊行会編 『石井進著作集 第5巻 鎌倉武士の実像』 (株)岩波書店 2005年1月 に所収。
- ^ a b c d 横井靖仁 『「鎮守神」と王権』 は 一宮研究会編 『中世一宮制の歴史的展開 下:総合研究編』 (有)岩田書院 2004年12月 に所収。
- ^ 二宮正彦 『摂関時代における神社行政 -二十二社の成立を主題として-』 は (財)古代学協会編 『摂関時代史の研究』 (株)吉川弘文館 1965年 に所収。後に 現代神道研究集成編集委員会編 『現代神道研究集成 第2巻 神道史研究編I』 (株)神社新報社 1998年6月 に所収された。
- ^ 岡田荘司 『平安期の国司祭祀と諸国一宮』 は 一宮研究会編 『中世一宮制の歴史的展開 下:総合研究編』 (有)岩田書院 2004年12月 に所収。
- ^ a b c 齋藤盛之 『一宮ノオト』 (株)思文閣出版 2002年12月 より。
- ^ a b 井上寛司 『中世長門国一宮制の構造と特質』 は 一宮研究会編 『中世一宮制の歴史的展開 上:個別研究編』 (有)岩田書院 2004年12月 に所収。
- ^ 大塚統子 『「一宮記」の諸系統 -諸本の書誌的考察を中心に-』 は 一宮研究会編 『中世一宮制の歴史的展開 下:総合研究編』 (有)岩田書院 2004年12月 に所収。
- ^ 千妙聖人が著述したものに、長寛元年(1163年)白山中宮の長吏隆厳が私注を加えて成立したと伝えられる『白山之記(しらやまのき)』は白山比咩神社所蔵文書のうち最古のもので、国の重要文化財に指定されている。
- ^ 宮地直一 『神道史 上巻』 は 宮地直一 『宮地直一論集 第5巻 神道史序説 神道史1』 蒼洋社 1985年 に所収。
- ^ 新一の宮を含む。賀茂別雷神社と賀茂御祖神社はそれぞれ1社、諏訪大社は上社と下社合わせて2社、若狭彦神社と若狭姫神社はそれぞれ1社、雄山神社は峰本社・中宮祈願殿・前立社殿をそれぞれ1社として計上している。
- ^ このなかには鳴門市大麻町の大麻比古神社、大分市寒田の西寒多神社、大分市上八幡の柞原八幡宮は含んでいない。また、神社敷地を意味する「神領」が現住所に付く建部大社も含んでいない。
- ^ 『鹽社由来追考』は享保3年(1718年)に、『別当法蓮寺記』は安永3年(1774年)から天明8年(1788年)の間に書かれた、いずれも鹽竈神社の社誌。志波彦神社鹽竈神社社務所編 『鹽竈神社史』 志波彦神社鹽竈神社社務所 1930年12月 に所収。
- ^ 現在の社名である「都波岐・奈加等神社」として加盟している。
- ^ 「諏訪大社 上社」「諏訪大社 下社」として別扱いで加盟している。
- ^ 「陸奥国一の宮」として加盟しているが、「陸前国一の宮」としても扱われる。
- ^ a b c 「陸奥国一の宮」として加盟しているが、「磐城国一の宮」としても扱われる。
- ^ a b 「若狭彦神社(上社)」「若狭姫神社(下社)」のどちらも「若狭国一の宮」として加盟している。
- ^ 近代以降の情報は大國魂神社の指定する杉山神社 (横浜市緑区西八朔町)のものだが、有力論社はあわせて4社存在する。
- ^ 近代以降の情報は渋川市の甲波宿禰神社ものだが、有力論社はあわせて3社存在する。
- ^ 新潟県には八海神社という名の神社が複数鎮座するものの、いずれも比定されていない。
- ^ 江戸時代に橘三喜がここから巡拝を始めたという一の宮巡り発祥の地であり、また氷川神社と一体であったとする説があることから。
- ^ 旧陸奥国と区別するため「津軽国」としている。
- ^ 摂末社に全国の一の宮の祭神を祀る天神地祇社があることから。
- ^ 「河州一ノ宮」を称するが、本来は交野郷一宮であったものが河内一宮と混同されたものと考えられている。
- ^ 「一ノ宮明神」を称するが、本来は市川郷一宮であったものが甲斐一宮と混同されたものと考えられている。
- ^ 相模五社の第五位であり実質的な五宮格であるが、「五宮」と称したことはない。
一宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 18:09 UTC 版)
一宮は国で一番有力な神社。国司が任国に赴任したときに神拝といって任国内の神社を巡拝しなければならなかった。その中でもっとも有力な神社を一宮と呼ぶようになり、一番初めに参拝し、国によっては二宮、三宮も存在した。明確な規定はなく神社の盛衰によるため時代によって異なる。平安時代後期から、地方より始まり、やがて畿内でも定められた。
※この「一宮」の解説は、「社格」の解説の一部です。
「一宮」を含む「社格」の記事については、「社格」の概要を参照ください。
一宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 15:02 UTC 版)
直哉の同級生。直哉には「男子生徒B」 とモブ扱いされている。
※この「一宮」の解説は、「サクラノ詩」の解説の一部です。
「一宮」を含む「サクラノ詩」の記事については、「サクラノ詩」の概要を参照ください。
一宮(中山)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 01:23 UTC 版)
※この「一宮(中山)」の解説は、「岡山市の地域一覧」の解説の一部です。
「一宮(中山)」を含む「岡山市の地域一覧」の記事については、「岡山市の地域一覧」の概要を参照ください。
一宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 01:23 UTC 版)
詳細は「一宮地域」を参照 一宮地域センター管轄域で、旧御津郡一宮町域。中学校名から中山(ちゅうざん)とも。一宮(中山) 「いちのみや」。小学校名から中山(ちゅうざん)とも。 主な町字 - 一宮・尾上・辛川市場・西辛川 平津 「ひらつ」。 主な町字 - 楢津・首部・一宮山崎・今岡 馬屋下 「まやしも」。 主な町字 - 大窪・松尾・長野・福谷・横尾・芳賀 桃丘 「ももがおか」。 主な町字 - 佐山・芳賀(上芳賀)・芳賀佐山団地
※この「一宮」の解説は、「岡山市の地域一覧」の解説の一部です。
「一宮」を含む「岡山市の地域一覧」の記事については、「岡山市の地域一覧」の概要を参照ください。
「一宮」の例文・使い方・用例・文例
一宮と同じ種類の言葉
- >> 「一宮」を含む用語の索引
- 一宮のページへのリンク