上一宮大粟神社とは? わかりやすく解説

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上一宮大粟神社

読み方:カミイチノミヤオオアワジンジャ(kamiichinomiyaooawajinja)

別名 大宜都比売神社埴生女屋神社

教団 神社本庁

所在 徳島県名西郡神山町

祭神 大宜都比売

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

上一宮大粟神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/05 18:28 UTC 版)

上一宮大粟神社

本殿と拝殿
所在地 徳島県名西郡神山町神領字西上角330
位置 北緯33度58分15.6秒 東経134度22分1秒 / 北緯33.971000度 東経134.36694度 / 33.971000; 134.36694座標: 北緯33度58分15.6秒 東経134度22分1秒 / 北緯33.971000度 東経134.36694度 / 33.971000; 134.36694
主祭神 大宜都比売命
社格 式内社(大)論社
阿波国一宮論社
郷社
札所等 新四国曼荼羅霊場73番
例祭 体育の日
地図
上一宮大粟神社
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上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)は、徳島県名西郡神山町大粟山にある神社式内大社阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ[1]旧社格郷社新四国曼荼羅霊場第七十三番札所。

祭神

  • 大宜都比売命 (おおげつひめのみこと) - またの名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)あるいは大粟比売命(おおあわひめのみこと)とされる。

社伝によれば、大宜都比売神が伊勢国丹生の郷(現 三重県多気郡多気町丹生)から馬に乗って阿波国に来て、この地にを広めたという。

歴史

延喜式神名帳』に記載される式内大社「阿波国名方郡 天石門別八倉比賣神社」の論社の一つである。天石門別八倉比賣神社は神亀5年(728年)に聖武天皇勅願所となり、元暦2年(1185年)には正一位の神階を授けられた。平安時代には、現在の徳島市一宮町に当社の分祠として一宮神社が創建された。

明治3年(1870年)、社名を「埴生女屋神社」と改められたが、氏子の請願により、明治28年(1895年)に現在の上一宮大粟神社となった。

前後の札所

新四国曼荼羅霊場
72番 妙法寺 --- 73番 上一宮大粟神社 --- 74番 宝蔵寺

脚注

  1. ^ 他の論社は八倉比売神社一宮神社

関連項目

阿波国一宮を称する神社



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