ちゅうゆうき〔チユウイウキ〕【中右記】
中右記
主名称: | 中右記 |
指定番号: | 105 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1986.06.06(昭和61.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | 建長元年近衛兼経抄出奥書 |
員数: | 44巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 『中右記』は中御門右大臣藤原宗忠の日記で、平安時代公卿日記中の名記として知られている。この陽明文庫はその鎌倉時代の古写本で、本記である日次記四十四巻を存し、宗忠が正四位下侍従兼讃岐介、二十九歳であった寛治六年(一〇九二)秋記から正二位内大臣、七十三歳の長承三年(一一三四)春記に至る間を、途中断絶しながら、おおよそ十六年分を収録している。 体裁は各巻ともほぼ同一で、いずれも巻子装になり、料紙は楮紙を用い、その構成は、料紙の界線の施し方、書写の時代などによって三種に大別される。うち四十巻には天複地単罫の横墨罫があり、首には年記の標記のあるものが多い。本文は一紙二一、二二行程度で一行二〇字前後に書写され、墨の書入、加筆訂正、傍注、裏書、あるいは朱の首附などがみられるが、いずれも本文と同筆で親本のままに写したと考えられる。さらに、このうち十三巻には岡屋関白近衛兼経の抄出奥書があり、鎌倉時代中期頃に近衛家で書写されたことが判明する。 嘉承二年秋冬巻は、天地単罫に横墨罫が引かれている。この一巻はもとは部類記の一種であつたが、それを切継ぎして場合によっては年月日を補筆し、日次記の体裁にしたものである。 また、長承三年(一一三四)春、冬、同四年春の三巻は天地とも単罫の横墨罫が引かれ、筆跡、体裁からみて鎌倉時代後期の同一時の書写本と考えられる。 この陽明文庫本は鎌倉時代書写になるまとまった古写本であり、その内容は流布本の本文をただし、あるいは欠を補うなど平安時代史研究上に価値が高い。 |
中右記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/18 21:50 UTC 版)
『中右記』(ちゅうゆうき)は、藤原宗忠が寛治元年(1087年)から保延4年(1138年)まで書いた日記である。宗忠は『愚林』と名付けたようだが[1]、「中御門右大臣の日記」を略して『中右記』と呼ばれる[2]。
解説
応徳4年・寛治元年(1087年)、宗忠26歳の元旦から書かれた。初めから寛治5年(1091年)までは、元の日記をずっと後に整理して書き改めたもので、寛治3年(1089年)の分は本人、他の年は子の宗能が改稿した。その結果以降の時期と比べて簡略になっており、中でも寛治3年(1089年)の分がもっとも短くなった。改稿により原本は破棄された[3]。
一部欠落はあるが、50余年にわたり政治上の要事を克明に書き留めた記録である。人の死亡時に六国史にあるような略伝を付けたのが日記では他に例のない特徴である[4]。当時の政治社会情勢や有職故実、人物像を知る上できわめて有用で、院政初期の基本史料である。
鎌倉時代の写本が宮内庁書陵部に所蔵されているほか、 江戸時代の写本が東山御文庫に収録されている[5]。
災害の記録
見聞きした災害の様子が記述されており、規模や被害を推定する根拠の一つとなっている。
- 1096年(嘉保3年) - 永長地震による京都市中の被害について記述。後に伝聞として大和国などの被害を記述[6]。
- 1106年(嘉承元年) - 疫病の流行[7]。
- 1108年10月11日(天仁元年9月5日)条 - 忠長から聞いた話として浅間山の噴火とその被害について記述[8]。
刊本
- 東京大学史料編纂所編『大日本古記録 中右記』第1 - 7巻、別巻、岩波書店、1993 - 2014年(全18巻)
- 陽明叢書記録文書篇 全4冊 中右記 思文閣出版、1988年
- 笹川種郎 編『史料大成 8 第8 中右記 第1(藤原宗忠)』(矢野太郎 校訂)内外書籍、1934年 。
- 笹川種郎 編『史料大成 9 第9 中右記 第2(藤原宗忠)』(矢野太郎 校訂)内外書籍、1934年 。
- 笹川種郎 編『史料大成10 第10 中右記 第3(藤原宗忠)』(矢野太郎 校訂)内外書籍、1934年 。
- 笹川種郎 編『史料大成11 第11 中右記 第4(藤原宗忠)』(矢野太郎 校訂)内外書籍、1934年 。
- 笹川種郎 編『史料大成12 第12 中右記 第5(藤原宗忠)』(矢野太郎 校訂)内外書籍、1935年 。
- 笹川種郎 編『史料大成13 第13 中右記 第6(藤原宗忠)』(矢野太郎 校訂)内外書籍、1935年 。
- 笹川種郎 編『史料大成14 第14 中右記 第7(藤原宗忠)』(矢野太郎 校訂)内外書籍、1935年 。
- 増補史料大成刊行会編『中右記』(増補史料大成9 - 15)、臨川書店、1965年。
脚注
参考文献
- 矢野太郎「中右記解題」、増補史料大成刊行会編『中右記 一』(増補史料大成9)、臨川書店、1934年。
- 戸田芳実『中右記 躍動する院政時代の群像』そしえて、1979年 。
- 松薗斉「藤原宗忠の家記形成」、『日記の家―中世国家の記録組織―』、吉川弘文館、1997年。初出1989年。
- 杉本理「『中右記』の薨卒伝について」、『古代文化』45-1、1993年。佐々木令信編『中右記人名索引』上・下、臨川書店、1993年。
- 吉田早苗「「中右記部類」について」、皆川完一編『古代中世史料学研究』下巻、吉川弘文館、1998年。
- 杉本理「院政期貴族社会のネットワークについて―藤原宗忠と他の貴族間の交流を中心に―」、『古代文化』51、1999年。
- 佐藤健治「『中右記』(藤原宗忠)―宗忠の見た白河院政」、元木泰雄・松薗斉共編著『日記で読む日本中世史』、ミネルヴァ書房、2011年。
- 松薗斉「人生を仕上げた男―藤原宗忠『中右記』―」、『日記に魅入られた人々』、臨川書店、2017年。
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