秋冬
秋 - 冬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 01:53 UTC 版)
夏場は休養に充て、日本ダービー以来となる3か月ぶりの復帰戦は、ひさびさの地元ホッカイドウ競馬での出走となる北海優駿であった。17日後に出走予定のセントライト記念で3着以内に入って、優先出走権を獲得しなければ菊花賞に出走できないため、馬体重プラス18キログラムという余力残しでの出走となった。得意ではないダートだったこともあり、苦しいレースとなったが、最後は1/2馬身差で勝利し、単勝1.0倍の断然人気に応えた。続くセントライト記念では、ほかに重賞勝ち馬がおらず、前走で増えた馬体を12キログラム絞っての出走となり、単勝1.3倍の1番人気となった。レースでは15頭立ての13番枠という外枠だったこともあり、前に壁を作れずに掛かってしまい、2コーナーで先頭に立つことになった。しかしその後は落ち着いてレースを進め、直線で差を詰めたホオキパウェーブをクビ差退け、2分10秒1の日本レコードで勝利し、重賞3勝目をマークするとともに、菊花賞の出走権を獲得した。 クラシック最終戦の菊花賞では、ハーツクライに次ぐ単勝2番人気に支持された。スタート直後は5 - 6番手に付けたが、3コーナーの下り坂で外から上がってきたモエレエルコンドルに被せられると、掛かって先頭に立ってしまう。その後はゆったりとレースを進め、2周目4コーナーでスパートをかけるが、いっしょに上がってきたデルタブルースに交わされ、0.3秒差の4着に敗れる。ここまで、地方所属の身で中央競馬の三冠レースを皆勤したが、クラシック制覇の夢は叶わなかった。 続くジャパンカップでは主戦騎手の五十嵐に代わり、フランスのクリストフ・ルメールを鞍上に迎えた。陣営は掛かり癖を解消するため、リングハミに代えて臨んだ。逃げるマグナーテンの直後に付け、掛かるところも見せず最後の直線に入ると、勝利したゼンノロブロイには3馬身及ばなかったが、いったん交わされたポリシーメイカーを差し返し、デルタブルースの追撃もしのいで2着に入った。 その後は長距離移動の繰り返しによる疲労などが考慮され、北海道には戻らず大井競馬場に滞在して調整された。迎えた有馬記念では五十嵐に手綱が戻るが、タップダンスシチーとゼンノロブロイが作る、緩みのないペースに付いて行けず、見せ場なくゼンノロブロイから1秒差の11着に終わり、2004年のGI制覇はならなかった。
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秋 - 冬
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続く札幌日経オープンは、JRAの競走では初めて地元北海道での出走となった。オープンクラスの別定戦のため、負担重量が62キログラムという過酷な条件となり、また騎乗予定だった五十嵐がレース当日に落馬負傷したため急遽武幸四郎に乗り替わりとなった。それでも単勝1番人気に支持され、レースでは1周目のスタンド前で先頭に立ち、最後の直線も先頭で迎えたが、トウショウナイトに交わされて4馬身差の2着に敗れた。勝利したトウショウナイトの負担重量はコスモバルクより6キログラム軽い56キログラムで、天皇賞(秋)を目指して3週間後に出走するオールカマーの前哨戦であったので、陣営のコメントは「今日はすべて斤量」「手応え十分」などと、前向きなものであった。そのオールカマーでは中団やや後方からレースを進め、馬群のなかで気負うところも見られたが、直線では内ラチ沿いを鋭く伸びて、バランスオブゲームのハナ差の2着に入り、2着以内に与えられる天皇賞(秋)の出走権を獲得した。 天皇賞(秋)では単勝3番人気に支持された。レースでは前半は中団よりやや前の6番手で折り合い、直線で追い出しを図るとやや苦しがる素振りを見せながらも、3着に入ったアドマイヤムーンといっしょに伸びてきた。しかし前を行くダイワメジャーらを捕らえきれず、0.3秒差の4着に敗れた。続くジャパンカップでは、ディープインパクト・ハーツクライなどの強豪が揃い、単勝6番人気(40.9倍)と評価を下げる。レースではひさびさの逃げを打つとスローペースに持ち込み、最後の直線でも粘って4着に入った。その後は第51回有馬記念に出走し、中団の9番手辺りを追走したが直線では手応えがなく、11着と大敗した。なおレース後の12月27日、大井競馬場の招きで東京大賞典当日の同場パドックに姿を見せた。
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宝塚記念の後は秋への始動に向けてビッグレッドファームで休養していたが、8月に発生した馬インフルエンザの影響により、地方馬が中央競馬の施設を利用できなくなってしまった。そこで、9月13日には3年ぶりに地元ホッカイドウ競馬での競走となる瑞穂賞に出走した。レースでは2番手を先行したが、得意ではないダートで伸びを欠き、3着に敗れた。9月末の時点では依然として地方馬が中央競馬の競走に出走できなかったため、地方競馬で唯一の芝コースを求めて盛岡競馬場で行われたOROカップに出走した。出走馬12頭すべてが中央競馬の芝コースでの競走に出走経験があるものの、実績は本馬が抜きん出ていたことに加え、負担重賞は定量であり、単勝1.1倍の1番人気となった。レースではスタート後の1コーナーでは3番手、向正面では2番手と徐々にポジションを上げていくと4コーナーで外に膨れたものの、直線の坂を上り切ると後続を突き放し、4馬身差で勝利した。 その後に目標としていたのは天皇賞(秋)であったが、この時期になっても地方馬の中央競馬への出走は原則として不可能であった。しかし、同競走と同じ週(10月27・28日)より行われた指定競走に限り、特例として出走が可能となった(また、12月1日からは特別指定競走への地方馬の出走も可能となった)。こうして出走した第136回天皇賞では、単勝11番人気の低評価であったが、3番枠からまずまずのスタートを切ると逃げを打ち、直線でも粘り5着に入った。 陣営の意向により騎手が松岡正海に替わり(後述)、迎えた第27回ジャパンカップでは陣営のリクエスト通り逃げずに2番手からレースを進めたが、直線で後退し13着に敗れた。ジャパンカップのあとはビッグレッドファーム明和に戻り調整が進められ、続く第52回有馬記念では5 - 6番手の好位に付けるも直線では後退し10着に敗れた。
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