東京優駿
日本ダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:30 UTC 版)
日本ダービーの前にもダービートライアル・プリンシパルステークス出走を予定していたが、調教中に未勝利馬に蹴られて外傷を負ったため、同レースを回避し、ダービーへ直行することになった。皐月賞の優先出走権があるにもかかわらず再び皐月賞トライアル競走に出走し、さらに皐月賞勝利後はダービートライアル競走に出走させようとした中尾銑治調教師によるローテーションは、当時「(レースに)使いすぎ」と言われた。中尾は「使わないと馬が太くなりすぎる」と説明したが、評論家の大川慶次郎は「皐月賞を勝つほどの馬なら、自分で体を作るはず」と、安易にレースを使おうとする調教師の姿勢を批判した。 主戦騎手の大西も引退後に発表した著書にてこのローテーションには反対で、プリンシパルステークスへの出走を正式決定した場合は身体を張ってでも阻止するつもりだったことを明らかにしており、結果的に出走回避となった時は安堵したという。大西によれば、このようにハードなローテーションを課した背景には、調教助手(当時)が昔気質で、ちょっとでも馬体が太くなれば完璧なまでに調整しようとするために調子の維持や疲労回復といった面を重視せず、さらには調教師の中尾もそれに流されてしまっていたことを明らかにしている。 出走前の併せ馬調教では、当時“芦毛の怪物”と言われ、また『調教横綱』としても知られていたスピードワールドに先着したことが話題になる。それを見た大川慶次郎は「この馬はやはり強い」と思い直し、ダービーの予想で印を打った。大川はかねてから「皐月賞はフロックだった」との評価に対し、「GIにフロックがあるのだろうか?」との疑問を抱いており、この併せ馬を目の当たりにして「やはりGIにフロックはない」と確信したという。 それでも、ダービーでは単勝6番人気(発走直前に競走除外されたシルクライトニングの方が上位人気だったため、実質は7番人気)と相変わらず低評価であった。枠番は皐月賞と同じ18番で、大外枠を希望していた大西直宏は自身が枠番抽選で大外18番を引いたとき、勝利を確信したという。 皐月賞以降、大西は「逃げ宣言」を繰り返していた。もし仮に、同じく出走している逃げ馬のサイレンススズカが逃げていれば、同馬がハイペースで飛ばし、これに巻き込まれてしまうことが濃厚だったが、「もし先手を奪いに行っても、サニーブライアンは絶対に退かない。それでは共倒れになると思った。」とレース後にサイレンススズカに騎乗していた上村洋行が答えたように、他馬が逃げを控えたことで、レースではスタートから先頭に立ち、ややスローペースの単騎逃げの体勢を作ることに成功した。この展開に『Grade-A』で後付実況を担当していた杉本清は「おのおの方、油断めさるな、何といっても皐月賞馬だ」と実況している。そして、東京競馬場の長い直線でスパートし、スタートから一度も先頭を譲ることなく2着のシルクジャスティスら後方から追い込んで来た集団を1馬身抑えてクラシック二冠目も勝利した。ゴール入線直前、フジテレビのテレビ中継で三宅正治は「これはもう、フロックでも、なんでもない!二冠達成!」と叫んだ。 レース後のインタビューでは「皐月賞で勝った割に評価が今一つ(7番人気)だったのはどう感じているか」との質問に対し、大西は「評価はどうでもよかった。1番人気はいらないから1着だけ欲しい、と思っていました」と語っており、この発言はサニーブライアン及び大西を象徴する言葉として現在でも知られる。また、「今日の府中の直線は(皐月賞と比べて)どうだったか」という質問に対し、大西は「(308メートルしかない)中山よりも(525.9メートルの府中の方が)短く感じた」と答え、ダービーでのサニーブライアンの強さを強調した。 東京競馬場でダービーを観戦していた生産者の村下夫妻は、1着でゴールした瞬間嬉しさのあまり2人で抱き合って喜んだ。周りには大勢の人間がいたが、そんなことは全く気にならなかったという。サニーブライアンが先頭で直線に入った瞬間から夫妻は、「ほれっ、サニー、もう一息だ!ほれっ!ほれっ!!」と叫び続けていた。 馬主の宮崎守保は、サニーブライアンがダービーを勝利したとき、サニーブライアン1頭しか現役競走馬を所有していなかった。このような例でダービーを勝利したのはJRA史上初のことであり、ほかの馬主たちからは「奇跡」と言われた。 大西騎手は勝利騎手インタビューで再度、菊花賞でも逃げて三冠を目指すことを宣言した。
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日本ダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 03:28 UTC 版)
クラシック第2戦の日本ダービーは予定通り5月26日に行われた。コーネルランサーは2番人気に支持された。 道中は、コーネルランサーは終始5番手をキープ。直線で先頭に躍り出ると、内から迫ってきたキタノカチドキの追撃を抑え切り、外から追ってきたインターグッドに一度交わされながらも差し返して、ハナ差で優勝した。勝ちタイムの2分27秒4は、当時のダービーのレコードタイムだった。 なお、騎乗していた中島の父も日本ダービーを制しており、史上初めて父子で日本ダービージョッキーとなる快挙を成し遂げた。
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日本ダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 17:42 UTC 版)
第60回 東京優駿(東京・芝2400m)着順馬番競走馬名騎手タイム着差単勝オッズ人気1着 10 ウイニングチケット 柴田政人 2:25.5 3.6 1 2着 7 ビワハヤヒデ 岡部幸雄 2:25.6 1/2 3.9 2 3着 1 ナリタタイシン 武豊 2:25.8 1.1/4 4.0 3 天候:曇、馬場状態:良 (出典:)クラシック第2戦・日本ダービーでは、ウイニングチケットが前走に続き1番人気、続いてビワハヤヒデ、ナリタタイシンと、前走・皐月賞と同じ人気順に収まったが、単勝オッズはそれぞれ3.6倍、3.9倍、4.0倍と拮抗し「三強対決」の様相を呈した。 ビワハヤヒデとウイニングチケットは中団、ナリタタイシンが最後方につけた。最終コーナーでビワハヤヒデは荒れた内ラチを避け外を回したが、ウイニングチケットは他馬が避けた内側の経済コースを通り一気に先頭に立った。最終直線でビワハヤヒデは激しく食い下がり、半馬身差まで差を詰めるが届かず2着。外から追い込んだナリタタイシンが3着に入り、人気順通りの着順に収まった。
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日本ダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 16:44 UTC 版)
第53回日本ダービーは23頭立て、晴れの良馬場という絶好のコンディションで行われた。 社台グループの総裁・吉田善哉は「ダイナガリバーでダービーを獲る」と高らかに宣言したのにも関わらず、皐月賞の大敗が響き、NHK杯を快勝した関西の秘密兵器ラグビーボール、皐月賞馬ダイナコスモスに次いで3番人気に甘んじた。 1000mを62秒5とスローで流れたこのレースで道中前めにつけ、直線で先頭に立つと、追ってきたグランパズドリームを半馬身抑えて優勝した。騎乗した増沢はこの時48歳7か月5日であり、史上最年長のダービージョッキーとなった。
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日本ダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 13:02 UTC 版)
同年6月7日に東京競馬場で行われた東京優駿(日本ダービー)では直線追い通し、5馬身差で勝利した。武にとってこれが自身初のダービー制覇となった。武は興奮のあまりムチを落としており、杉本清によるとレース後武に「ムチ、どうしたの?」と聞くと武は「その辺に忘れました」と答えたという。
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日本ダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 13:50 UTC 版)
無敗での三冠達成が期待された日本ダービーだったが、厩務員ストによる3週間の日程繰り下げがキタノカチドキに少なからず影響を及ぼしていた。特に最初は3日間馬房に閉じ込められる事態が生じ、その後は毎週のようにレースが実施されることを前提に強い追い切りをかけたことが皐月賞後に疲れが出てくる結果となった。 ダービー直前の最終追い切りでは内へささり、キタノカチドキの主戦騎手だった武邦彦が「不安を通り越して、恐怖を感じた」と発言するほど、調子が不安視されていた。また単枠指定で7枠19番という外枠からの発走になり、その心理的な不安も加わって、レース前にキタノカチドキに不利な条件が重なることとなった。 そして、5月26日の日本ダービー当日。スタートしてすぐにキタノカチドキは19番枠から果敢に先行したが、好位につけることができずに10番手で第1コーナーを回った。レースはニシキエース、ランドグレース、エリモマーチスが早いペースで逃げて、この3頭がバテると急にスローな展開となり、第3コーナーではダンゴ状態になるというダービーでは珍しい展開になった。キタノカチドキはずっと馬群の中にいて、第4コーナーで先行集団に追いつき、いつでも抜け出せる位置につけた。だが、余分なスタミナを使ってしまったのか、最後の直線で先に行くコーネルランサーとインターグッドの間を抜け出そうとしたところで内へささり、立て直そうとすると外へもたれるなどしてヨレて真っ直ぐ追える状態ではなく、優勝したコーネルランサーから1馬身差の3着に敗れ、初黒星を喫した。
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