天皇賞
天皇賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 10:19 UTC 版)
「第10回ジャパンカップ」の記事における「天皇賞」の解説
着順馬番競走馬名性齢騎手斤量タイム着差単勝オッズ人気1着 7 ヤエノムテキ 牡6 岡部幸雄 58 1:58.2 008.0 3 2着 8 メジロアルダン 牡6 横山典弘 58 1:58.2 アタマ 010.7 5 3着 6 バンブーメモリー 牡6 武豊 58 1:58.4 1馬身1/4 008.9 4 4着 10 オサイチジョージ 牡5 丸山勝秀 58 1:58.5 1/2馬身 005.3 2 6着 12 オグリキャップ 牡6 増沢末夫 58 1:58.9 002.0 1 天候:晴、馬場状態:良第102回天皇賞(秋)(GI)は、10月28日に東京競馬場で行われた。 イナリワンは、オールカマー(後述)の回避に続いて体調不良で回避。天皇賞2連覇中のスーパークリークは、直前の24日に体調不良で回避し、「平成三強」はオグリキャップのみが参戦した。 安田記念優勝、宝塚記念2着という春を過ごしたオグリキャップは、アメリカ遠征を故障のために断念し、福島県のJRA競走馬総合研究所常盤支所にて休養していた。治癒明けの出走にも関わらず38.3%の単勝支持率を記録し、緑帽6枠は「単枠指定」に、オッズは2.0倍の1番人気に推された。9月に栗東トレーニングセンターに戻り、急ピッチで調整が進められた。当日のパドックではいつも見せる「元気の良さ」がないように映っていたという。続く5.3倍の2番人気には、宝塚記念でオグリキャップに3馬身半差をつけて勝利したオサイチジョージだった。秋の始動戦には毎日王冠(GII)を選択し、2.1馬の1番人気に推されたものの4着に敗退した。3番人気には、2年前の皐月賞優勝馬ヤエノムテキ、直前の2戦は安田記念2着、宝塚記念3着という成績を残していた。その他、安田記念や高松宮杯(GII)を制しているバンブーメモリー、オールカマー4着(後述)から臨むメジロアルダン、毎日王冠ワンツーを決めたラッキーゲラン、マキバサイクロンなど全18頭が出走した。 最内枠から発馬したロングニュートリノがハナを奪い、それに次いでラッキーゲラン、ダイユウサク、マキバサイクロン、オグリキャップが先行馬群を形成した。一方ヤエノムテキ、メジロアルダン、バンブーメモリーは後方で控える形となった。逃げるロングニュートリノが前半の1000メートルを58秒2で通過する「速いペース」となり、後方集団は徐々に進出を始めた。先行するオグリキャップも外側から逃げ馬を見る好位に位置取った。一方ヤエノムテキは、最終コーナーで内側の逃げ馬の後ろを突いた。次第に、逃げるロングニュートリノやダイユウサクが失速し、ヤエノムテキに進路ができ始める。残り400メートルにて、各馬が横一線に広がり追い上げを試みる中、逃げる2頭の内側をヤエノムテキが「弓矢のを放つように勢いよく伸び(岡部幸雄)」て抜け出した。外から抜け出しを図ったオグリキャップは、伸びがなく後退、その内側をバンブーメモリー、メジロアルダン、オサイチジョージがかわした。追い上げる3頭の中からメジロアルダンが、先頭のヤエノムテキに並びかけて、馬体を併せたがヤエノムテキがアタマ差メジロアルダンを退けて入線した。ヤエノムテキが皐月賞以来のGIタイトルを獲得し、1年半ぶりの勝利を挙げた。 勝ちタイム1分58秒2は、サクラユタカオーが保持していたコースレコードを0秒1更新、騎乗した岡部は天皇賞(秋)を初制覇、並びにグリーングラス、シンボリルドルフ、クシロキングに続いて天皇賞4勝目を果たした。ヤエノムテキの馬主である有限会社富士の代表大池正夫は1989年末に死去していたため、夫人の大池俊江が表彰式に出席し涙を流した。 メジロアルダンに追い上げで劣ったバンブーメモリーは3着、オサイチジョージは4着、オグリキャップは6着敗退となった。なお、マキバサイクロンが最後の直線で外側に斜行したため、騎乗した柴田善臣には過怠金1万円が課せられた。
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天皇賞(春)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:12 UTC 版)
着順馬番競走馬名性齢騎手斤量タイム着差単勝オッズ人気1着 7 フェノーメノ 牡5 蛯名正義 58 3:15.1 011.5 4 2着 12 ウインバリアシオン 牡6 武幸四郎 58 3:15.1 クビ 006.5 3 3着 6 ホッコーブレーヴ 牡6 田辺裕信 58 3:15.1 ハナ 101.5 12 6着 10 フェイムゲーム 牡4 北村宏司 58 3:15.5 1/2 91.7 11 7着 8 ゴールドシップ 牡5 C.ウィリアムズ 58 3:15.6 クビ 004.3 2 15着 17 ヒットザターゲット 牡6 北村友一 58 3:16.6 2.1/2 206.5 16 天候:晴、馬場状態:良2014年5月4日に行われた第149回天皇賞(春)はフェノーメノが制覇、ウインバリアシオンが2着、ホッコーブレーヴが3位にそれぞれ入着した。ゴールドシップは7着に沈んだ。
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天皇賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:45 UTC 版)
天皇賞では皇族が東京競馬場に来ることが多く、その都度「サイン理論」が起こった。特に東京競馬場で行われる天皇賞(秋)はスタート地点の特性という偶然もあり1枠(白い帽子)の連対率が非常に高い(皇は「白に王」と書くため)ということもある。特に昭和天皇が観戦された1987年の第96回天皇賞と明仁天皇が観戦した2005年の第132回天皇賞では偶然とはいえともに勝ったのは1枠の馬であり皇族がらみの馬券で決着した。 第96回天皇賞は1着にニッポーテイオー、2着にレジェンドテイオーが入り「帝王」の名を持つ2頭で決着した。 第110回天皇賞は、1着に馬番10番のネーハイシーザー、2着に馬番1番のセキテイリュウオーが入り、馬連1-10で決着。ちなみに、この2頭はともに「シーザー」「オー」の名を含んでいることも注目に値する。 第132回天皇賞は元々、紀宮清子内親王ご成婚記念競走と銘打たれていたことから「サイン理論」の的となり実際に三連単(1-13-12)の数字を並び替えると愛子内親王の誕生日(平成13年12月1日)になり、結婚=ロマンスでヘヴンリーロマンスが勝利した。 天皇賞(春)においても1枠(白い帽子)の勝率が高く2008年から2017年の10年間で1枠の馬が5勝している。さらに開催時期が世間一般でゴールデンウィークにあたることから、株式会社ベストセラーズが出版している競馬最強の法則の予想ではゴールデンウィークに関連した馬名やゴールドと名のつく馬への注意喚起をしている。一例として、1998年は誌上でステイゴールドに要注意と注意喚起をしていたが実際、ステイゴールドは2着に入った。それとは別に1999年はスペシャルウィークが1着となり、2010年は人気薄のメイショウドンタクが3着に入った(ゴールデンウィークには博多どんたくが開催される)。
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天皇賞(春)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:43 UTC 版)
着順馬番競走馬名性齢騎手斤量タイム着差単勝オッズ人気1着 1 ワールドプレミア 牡5 福永祐一 58 3:14.7 5.2 3 2着 12 ディープボンド 牡4 和田竜二 58 3:14.8 3/4 3.6 1 3着 3 カレンブーケドール 牝5 戸崎圭太 56 3:15.2 2 7.3 4 7着 7 ユーキャンスマイル 牡6 藤岡佑介 58 3:16.5 3.1/2 12.0 5 天候:晴、馬場状態:良第163回天皇賞(春)は、中団でレースを進めたワールドプレミアが、直線で外から各馬を差し切り、その内に食い下がったディープボンドに3/4馬身差をつけて優勝した。さらに2馬身差の3着にカレンブーケドールが入った。
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天皇賞(秋)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:52 UTC 版)
「第164回天皇賞」も参照 9月30日に帰厩。最終追い切り後、武史は「いつもは力みやすい面があるのですが、凄くリラックスして折り合えましたし何より終いも楽に動けたのでとても良かったと思います。調教だけの部分なら今までで一番良かったんじゃないかなと思います。夏を越えてパワーもついて一段と成長して、改めて良い馬だなと感じています」と語った。鹿戸は「凄く良い感じで走れていました。ひ弱さも少しずつ解消されてきて心配事が減って、思い通りの調教が出来るようになった。セレクトセールの時期に、秋田オーナーや木實谷場長と何回か相談したところ、タフな阪神の3000mよりは東京の2000mの方が合っているんじゃないかという結論に達して、天皇賞を目標にすることになりました」と語った。 10月31日、第164回天皇賞(秋)(芝2000m)に出走。前年の三冠馬である4歳馬コントレイル、1200・1600・2000メートルGIの3階級制覇を狙う5歳馬グランアレグリアに続く3番人気に支持され、3つの世代を代表する強豪による三強対決として注目が集まった。道中は中団やや前目の位置に控え、ゴール手前でグランアレグリアに代わって先頭に躍り出て、追い込んできたコントレイルにもハナを譲らず1馬身ほど抜け出して優勝した。これは2002年のシンボリクリスエス以来、19年ぶりである3歳馬による秋盾制覇であった。さらにキャリア6戦目でのJRA“古馬G1”優勝は、グレード制が導入された1984年以降の最少キャリアタイ記録となった。鞍上の横山武史騎手は2週連続のG1制覇で同レース史上初の親子3代制覇を成し遂げた。武史は「ダービーのこともあって、人生で初めて嬉し泣きしました。コロナ禍でも競馬場に入れる人数が増えていてその中で競馬に乗れることに感謝したいです。ファンの皆様の前で勝てて本当に良かったです。スタートは上手いですし競馬も器用なので馬の邪魔をしないように馬の力を信じて乗るだけだと思いました。 道中も理想的なポジションでしたし変にインにこだわらないで多少外を回ってもいいという思いで乗りました。任せて頂いた関係者、オーナーの皆様に感謝しています」と語った。鹿戸は「みんなと相談して、このレースを選択したのがベストの選択だったと思います」と語った。キャロットファーム秋田博章代表は「春から比べてトモが良くなって、追い切りを見てもグリップ力が強くなっていた。まだまだ伸びしろがあるし来年はもっと良くなる。一戦一戦を一生懸命走る馬なので、大丈夫そうなら次は有馬記念に向かいたい」と語った。
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天皇賞(秋)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 00:07 UTC 版)
毎日王冠後、橋田がこの年の最大の目標として定めていた第118回天皇賞(秋)に出走。サイレンススズカが出走するとあって他馬の陣営が恐れをなしてか同レースとしては珍しい12頭立てと少頭数でのレースとなった。さらに逃げ馬としては有利となる1枠1番を引き当て、当日の単勝支持率は61.8%、単勝オッズは1.2倍と圧倒的な一番人気に支持された。レース前、多くのTVや競馬紙も上記の有利な条件も踏まえて、サイレンススズカが負ける要素を探したものの、アクシデントがない限りサイレンススズカは負けないという意見が大勢を占め、サイレンススズカのレースの勝ち負けよりも、「どう逃げるのか」「どういう内容の競馬をするのか」という点に注目が注がれた。武は天皇賞の週の半ばに受けたインタビューにおいて、インタビュアーから「オーバーペースにならないように?」と問われると、「オーバーペースでいきますよ。」と宣言していた。 当日の体調について、加茂と武は「あの時が間違いなく一番具合が良かった」と口をそろえて言うほど優れていた。サイレンススズカは好スタートを切り、2ハロン目から加速して後続を突き放すと、毎日王冠を上回る1000m57秒4の超ハイペースで大逃げをうった。競りかける馬はサイレントハンターも含めて1頭もおらず3コーナー手前では2番手に10馬身、さらにそこから3番手までが5馬身と後続を大きく引き離し、この時点で二番手サイレントハンターとは約2秒差、最後方ローゼンカバリーとは6秒ほどの差となっていた。 しかし、4コーナーの手前で突然の失速。左前脚の手根骨粉砕骨折を発症し、競走を中止した。結局予後不良と診断され安楽死の処置がとられた。
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天皇賞(春)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 00:38 UTC 版)
続いて、4月29日の天皇誕生日に行われた天皇賞(春)に出走。GI初出走であったが、ゴールドシチーや東京優駿(日本ダービー)を制したメリーナイスといった同期のGI優勝馬を抑えて、1番人気に推された。メイショウエイカンやダイナカーペンターが先行する中、最初のゴール板通過は後方に位置。稍重ながら、前半の1600メートルを1分39秒6で通過する速いペースとなった。向こう正面で外側に移り、中団にいたゴールドシチーを捉える位置まで前進。失速する先行馬を外からかわして最終コーナーを5番手で通過し、直線では馬場の内側に転進した。先に抜け出したメジロデュレンとランニングフリーが馬体を併せて競り合っていたが、その内をすくって先頭となり、1着で入線。6連勝、重賞4連勝でGI初勝利を達成した。2着ランニングフリーにつけた3馬身差は、1968年に大差勝ちしたヒカルタカイ以来の最大着差となった。 鞍上の南井は八大競走50連敗、旧八大競走を含むGI競走40連敗を経て、初のGI勝利となった。騎手生活18年目で初のタイトルには「タマモクロスみたいなGI級の馬にめぐりあえば、GIを勝てるというだけのこと」「勝てる馬に乗れば勝てるんですよ(笑)」と振り返っている。野平祐二は南井の騎乗に対して「あんなに巧みな南井騎手をみたのは初めてです。よほど自信を持って乗っていたのでしょう。パーフェクト騎乗と絶賛してもいいです」と評した。 本レースは、調教師の小原にとって1980年の開業以来、オーナーの三野にとって馬主歴50年にして初めてのGI制覇となった。昭和天皇と同じ明治34年(1901年)生まれ、87歳の三野は「ダービーを勝つよりも天皇賞の盾が欲しい」を口癖としており、表彰式で演奏された君が代に感激の表情を見せた。
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天皇賞(秋)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 00:38 UTC 版)
芦毛の2頭タマモクロスオグリキャップJRA 1着 3歳イ 笠松1着 秋風ジュニア 1着 ジュニアCR 1着 中京盃 1着 中日スポ杯 1着 師走特別 1着 ジュニアGP 400万下 1着 1着 ゴールドJ 藤森特別 1着 1着 ペガサスS JRA鳴尾記念 1着 1着 毎日杯 金杯(西) 1着 1着 京都4歳特別 阪神大賞典 1着 1着 NZT4歳S 天皇賞(春) 1着 1着 高松宮杯 宝塚記念 1着 1着 毎日王冠 第98回天皇賞 第8回ジャパンカップ 第33回有馬記念 少食で太りにくいことから、小原は前哨戦を使わなくとも良化すると考え、10月27日の天皇賞(秋)にぶっつけで参戦。東京競馬場滞在中は、小原が「東京の水はいい」「見てくださいよ、この食いっぷりを。まったくうれしい悲鳴です」と述べる食欲を見せた。また、ダートコースでの最終追い切りは「これまでで最高の状態だった鳴尾記念を上回るデキ」と評された。一方、騎乗予定の南井は10月8日に落馬し、打撲の診断を受けたため翌週の騎乗を取りやめていた。休みとなった南井は、ローカル線に乗って大分県や熊本県の温泉を巡り、調子を整えて1週間空けて復帰した。 天皇賞(秋)に出走する13頭で最も注目を集めたのは、移籍後6連勝、笠松から14連勝中の4歳馬のオグリキャップ、そして7連勝中のタマモクロスという「芦毛」同士の対決であった。当日は第55回日本ダービーに次ぐ12万人以上の観客が集まり、観衆の表情について鶴木遵は「『祭り』を迎える興奮が漂って離れなかった」と表現している。オグリキャップは単勝支持率35.3パーセント、2.1倍で1番人気となり、対するタマモクロスは29パーセント、2.6倍の2番人気となった。これまで「超一流馬はいなかった」、「弱いものと相場が決まっていた(本田靖春)」「良くも悪くも(中略)名脇役(結城恵助)」とも呼ばれていた芦毛に人気が集中、互いに単枠指定となった。また、連複式(枠連)の「(1)オグリキャップ - (6)タマモクロス」の組み合わせには、50億円が投じられていた。 レースではスタートからレジェンドテイオーが大逃げを展開。タマモクロスは、後方からではなく2番手で先行して好位に位置した。一方、オグリキャップはその5、6馬身後方の中団7、8番手に位置した。逃げるレジェンドテイオーは、前半の1000メートルを59秒4で通過。1986年にサクラユタカオーが日本レコードタイムを樹立した時の、ウインザーノットの逃げよりも0.5秒速いペースとなった。最終コーナー手前からは、タマモクロスがレジェンドテイオーとの2馬身差を徐々につめて、抜け出しを図った。直線に入ると南井はオグリキャップのみを相手と定め、右後ろを複数回振り返って視認した。一方のオグリキャップも内から外へと持ち出して追い上げを開始。残り200メートルほどにてオグリキャップの鼻先がタマモクロスの尻尾に差し掛かると同時に、南井がムチを入れてタマモクロスを促した。すると、オグリキャップが末脚を見せて追い詰めた差がそれ以上に縮まることはなく、1馬身4分の1の差で入線。オグリキャップは余力がなくなり、ゴール板付近で馬場の内側にもたれてしまい、タマモクロスよりも内側でゴール板を通過した。 これにより、GI3勝目、7連勝を記録した。また、1981年に天皇賞優勝馬の出走が解禁されて以降、三冠馬のミスターシービーやシンボリルドルフなど6頭が成し遂げられなかった天皇賞春秋連覇、天皇賞2勝を達成。並びに、史上初めてGI競走のみでの3連勝を成し遂げた。 先行策について、南井は「スタートが良かったし無理に抑えることもない」「(2番手の位置取りにも)不安はなかった」と振り返り、「これまでの騎手人生で最高の馬」と称えた。小原は、南井に対して事前に騎乗の指示をしていなかったが、先行策を講じた南井を見て「勝利の半分をあきらめた」と思ったという。大川慶次郎は、タマモクロスが先行する展開ではオグリキャップ有利と見ていたが、直線のタマモクロスの強さは想像以上であったと述懐している。また、タマモクロスを「勝ちにいって勝つ。この馬の真価を初めて見た気がする。強さだけでいうなら、戦後でも5本の指に入る」と評した。(レースに関する詳細は、第98回天皇賞を参照。)
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天皇賞(春)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:19 UTC 版)
4月11日、天皇賞(春)の2週前追い切りも兼ね、平地調教再審査(以下「再審査」という)が栗東トレーニングセンターのEコースで実施された。前走の阪神大賞典において第3コーナーで逸走したことについての再審査であったため、裁決委員3名、ハンデキャッパー5名の計8名が第3コーナーから第4コーナーにかけての走行振りを注視する中で審査が行われた。その結果、逃避癖やタイムを含めた走行状態に問題はないと判断され、合格の判定が下された。これにより天皇賞(春)への出走が可能となった。前年のクラシック三冠を制し年度代表馬にも輝いたトップホースの再審査は異例とあって、関係者や記者らの視線が集中する中での再審査となったが、無事に合格を果たし、池添が「やっと競走馬に戻れました。ホッとしました」と述べると、池江も「GIの1番人気より緊張しました」と当時の心境を明かしている。このように阪神大賞典での逸走のアクシデントはオルフェーヴルおよび陣営に試練をもたらしたが、結果として池添が付きっきりでオルフェーヴルの調教に携わることになった。これについて池添は「受かったからといって、折り合いが大丈夫になったわけじゃない。でも、普段からコミュニケーションを取ることができたのはよかった」と述べている。 天皇賞(春) レース後、引揚げるオルフェーヴル 迎えた4月29日の天皇賞(春)では、前走と同様に大外枠(18番枠)からの発走となった。再び逸走することも心配されたが、単勝1.3倍の圧倒的1番人気に推された。レースでは、横一線のスタートを切るとすぐに位置取りを下げ、前に壁をつくるようにして後方2、3番手に控えた。その後レースは、前方でゴールデンハインドとビートブラックが大逃げを打ち、少し離れた3番手にナムラクレセントが控え、4番手以下のグループが牽制し合う展開となり、2周目の向正面まで進んでいく。第3コーナー手前からようやく4番手以下も差を詰めにかかり、オルフェーヴルも外に持ち出して追い上げようとするが、近走のように手応え良くポジションを上げていくことはできず、池添の手が激しく動いたまま迎えた第4コーナーでは大きく外に膨らんだ。結局メンバー3位タイとなる上がり3ハロン34秒0の末脚は使ったものの前も止まらず、ビートブラックが後続を4馬身突き放して優勝、オルフェーヴルは勝ち馬から1.8秒遅れての入線となり、見せ場なく生涯最低着順の11着(ヒルノダムールとの同着)に敗れた。 敗因については、レース直後の時点でははっきり判明しなかったものの、池添が「(最後の)直線でもだいぶ脚をとられて、4、5回くらいつまずくような感じになった」として故障も疑ったほどだったと振り返るなど、池江・池添は共に馬場の可能性を挙げた。また、池添はオルフェーヴルの状態について、「3コーナーの下りを利用して動かしていったんですけど、いつもの伸びがなかった」「返し馬で、いつもの柔らかいフットワークではなかった」と語っている。さらに、展開の不向きにも触れ、前が逃げていてもオルフェーヴルの折り合いを重視すると動くに動けず、「嫌な展開だと思っていた」としている。後にこの敗戦を振り返った池江は、「返し馬が全然良い頃とは違いました」と述べるなど上記の敗因に改めて言及したほか、「ひょっとしてオルフェーヴルの場合、体の違和感とか、馬場が硬くて合わないと感じたら、レースを投げてしまうところがあるのかも知れませんね。兄弟もそういうところがありましたから」と述べ、異なる可能性についても示唆した。また調教再審査について「段々、前捌きが硬くなって、コズミもでて、調教中に躓くこともありました。あの馬にはあり得ないことですからね」として影響があったことを認めた。さらに、中間に下痢を起こしていたことを明かしたうえで、調教の動きを見て「ベストの状態ではないけれど、競馬に行けばキッチリ走ってくれると思ったのですが」と当時の心境を回顧している。ただ、最終的には池江も明確な敗因を突き止めるまでには至らず、「理由はひとつだけではなかったように思います。位置取りが悪かったとか、メンコ(覆面)をしていたとか、調教再審査で負担が掛かったとか、馬場が向かなかったとか、展開に泣かされたとか、色々な要素が複雑に絡み合っている」「正直今でも手探りの状態で、これが明確な敗因だという理由を突きとめられていない」と明かしている。この敗戦により、レース直後に池江が「この着順では凱旋門賞を目指すとは大きな声では言えない」と述べるなど、前年から目標として掲げていた凱旋門賞挑戦について大きくトーンダウンすることとなった。
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天皇賞(春)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:58 UTC 版)
それから4月29日、天皇賞(春)(GI)に出走。陣営は、近走のかかるクセを改善するため、鞍上にクセのある馬への騎乗について、評価の高かった武豊を起用。武は前年の菊花賞優勝馬であるスーパークリークの主戦騎手であったが、体調不良、脚部不安で戦線を離脱していたため、イナリワンへの騎乗が実現した。人気は、スルーオダイナとランニングフリーがオッズ3倍台、コクサイトリプルが7.6倍、イナリワンはそれに次ぐ9.3倍の4番人気であった。最内枠から発走し、上位人気のスルーオダイナとランニングフリーの背後である、中団後方に位置。最初のゴール板通過では、スタンドの喚声に反応してしまったが、武は馬群に入れて、前方に他の馬を置くことで折り合いをつけた。2周目の向こう正面、外から追い上げて、第3コーナーの坂を登り下りすると、最終コーナーを逃げたミヤマポピー、2番手で先行したミスターシクレノン、中団にいたランニングフリーに次ぐ4番手で通過。直線では、ミスターシクレノンとランニングフリーの間から追い込み、残り200メートルで抜け出して独走した。後方との差を5馬身まで広げて先頭で入線、移籍後初勝利かつGI初勝利と相成った。 走破タイム3分18秒8は、モンテプリンスが1982年の天皇賞(春)で樹立したコースレコードおよびレースレコードを0.4秒更新。また、1954年秋のオパールオーキット、1956年秋のミッドファーム、1961年秋のタカマガハラ、1962年春のオンスロート、1968年春のヒカルタカイに続いて史上6頭目、21年ぶりとなる地方競馬出身競走馬による天皇賞勝利となった。加えて、武は父の武邦彦が19度挑戦しても届かなかった天皇賞を初挑戦で優勝、当日は20歳であり、天皇賞優勝騎手としては、1939年の帝室御賞典・秋(天皇賞の前身)をテツモンで制した保田隆芳の19歳に次ぐ、史上2番目の若さであった。そのうえ、生産した山本にとっては、初めてJRA重賞勝利が天皇賞であった。表彰式では、イナリワンの左右で鈴木と福永が共に轡を取り、優勝レイは福永に贈られている。
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天皇賞(秋)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 18:42 UTC 版)
「ウオッカ (競走馬)」の記事における「天皇賞(秋)」の解説
秋は、10月12日の毎日王冠(GII)で始動。初めて逃げに出て、最終コーナーを先頭で通過。残り100メートル地点では、後方から迫ったスーパーホーネットと競り合いとなった。2頭はしばらく並んでいたが、決勝線10メートル手前で先頭をスーパーホーネットに譲り、アタマ差の2着に敗れた。 11月2日、天皇賞(秋)(GI)に参戦。出走17頭すべてが重賞優勝馬である中、ウオッカは単勝オッズ2.7倍の1番人気に推された。以下、同期のダイワスカーレットが3.6倍の2番人気、1歳下の東京優駿優勝馬で、四位が騎乗するディープスカイが4.1倍の3番人気となり、オッズ一桁台の人気はこの3頭だけだった。スタートからダイワスカーレットが逃げる中、ディープスカイと並んで中団に位置。ハイペースの中、馬場の最も内側を逃げるダイワスカーレットが先頭のまま最後の直線に入り、ディープスカイとともに追い上げた。残り200メートルにて、内で逃げるダイワスカーレット、外から迫るディープスカイ、ウオッカで3頭が横並び状態、次第に外2頭の末脚が勝り、一番外のウオッカが先頭に躍り出た。しかし、残り100メートルから、ダイワスカーレットが盛り返してウオッカに迫り、2頭の並んだところで決勝線を通過した。どちらもウイニングランは行わずに、退場している。検量室前の枠場では、先に退いたダイワスカーレットが1着馬用に収まったため、武は2着馬用で下馬した。 すんなり確定することはなく、1位2位には、写真判定が用いられた。終決までは13分を要し、ウオッカのハナ差先着、2センチ先着が認められた。走破タイム1分57秒2は、スペシャルウィークが1999年に樹立したレースレコードを0.8秒更新。ウオッカはGI級競走4勝目、史上初めて牝馬による牡牝混合GI級競走3勝。また、牝馬による天皇賞制覇は2005年のヘヴンリーロマンス以来3年ぶりであり、牝馬による天皇賞(秋)1着2着(ウオッカ、ダイワスカーレット)は、1958年(1着:セルローズ、2着:ミスオンワード)以来50年ぶりであった。武は、メイショウサムソンで制した前年に続いて天皇賞(秋)連覇を達成、表彰式後にはスタンドのファンとともに万歳三唱を行った。(レースに関する詳細は、第138回天皇賞を参照。) それから11月30日のジャパンカップに出走。武がメイショウサムソンを選んだため、再び岩田に乗り替わった。安田記念と同じように先行したが、スローペースのために抜け出すほどの末脚を発揮することができず、3着。有馬記念のファン投票では13万6619票を獲得し2年連続で1位になったが、回避した(第53回有馬記念)。 JRA賞表彰では、全300票中180票を集めてJRA賞年度代表馬、196票を集めてJRA賞最優秀4歳以上牝馬を受賞。牝馬による年度代表馬受賞は、1997年のエアグルーヴ以来、11年ぶり史上2頭目であった。
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天皇賞(春)
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4月21日、前年に欠場した天皇賞(春)(GI)に出走を果たす。単勝オッズ14.5倍の3番人気に推される。それ以上に人気を集めたのは、前哨戦の阪神大賞典(第44回阪神大賞典)にて、接戦の末にアタマ差で決着した2頭であった。その勝者ナリタブライアンが1.7倍の1番人気となる。前々年にクラシック三冠を果たし、有馬記念、阪神大賞典を連勝。その後は連敗し、この阪神大賞典で1年ぶりの勝利を挙げたばかりだった。そして、マヤノトップガンが2.8倍の2番人気となる。菊花賞と有馬記念を連勝、古馬初戦に阪神大賞典でナリタブライアンにアタマ差敗れていた。対戦成績1勝1敗、共に年度代表馬である2頭に人気は集中。特に馬番連勝式の2頭の組み合わせは、支持率37.5パーセント、116億円が投じられているという「二強」状態であった。一方のサクラローレルは、この2頭との対決経験がなかった。3番人気の評価は『優駿』によれば「真に実力を評価されたというよりも、未知の魅力を買われたという要素が大きかった。」と伝えられる。 1枠1番からスタートして、中団の内、ナリタブライアンの近くを追走。スローペースの中、ナリタブライアンが2周目の向こう正面で動き、先行するマヤノトップガンに接近、最終コーナー手前では2頭が並び立っていた。サクラローレルはナリタブライアンを追って2頭の背後を確保して、最終コーナーを通過。直線入ってまもなく、ナリタブライアンがマヤノトップガンを下して先頭となっていたが、その後方外から末脚を発揮。ナリタブライアンを差し切って差を広げ、先頭で入線した。GI初勝利、ナリタブライアンに2馬身半差をつけての優勝は「金星」(蔵内哲爾)と呼ばれるほど価値の高いものであった。 横山は「サクラローレルの力を信じて乗りました。それと4(最終)コーナーで(ナリタ)ブライアンの直後につけられたのも勝因のひとつでしょうね。(中略)想像以上の末脚を使ってくれました。直線では相手(中略)以上の瞬発力を持っていましたね。(ナリタ)ブライアンを交わした〔ママ〕時に、勝利を確信しました。(後略)」と述懐している。前年の天皇賞(秋)はサクラチトセオーが勝利しており、境および谷岡牧場、さくらコマースは天皇賞秋春連覇。境は、グレード制導入以降、史上3例目となる管理馬の連覇となり、別の管理馬で成し遂げたのは史上初めてであった。また横山は天皇賞初勝利、父横山富雄が1969年秋をメジロタイヨウで、1971年春をメジロムサシで勝利しており、伊藤正四郎・正徳親子に続いて、史上2組目の天皇賞親子制覇となった。(レースの詳細は第113回天皇賞を参照。)
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天皇賞(秋)
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11月3日に行われる菊花賞は、四天王の一角ダンスインザダークが勝利することになる。一方バブルガムフェローは、それに先立って10月27日、天皇賞(秋)に臨んだ。岡部と藤沢は、共にタイキブリザードのブリーダーズカップクラシック参戦のためにカナダへ遠征しており、代わりの騎手としてデビュー10年目のGI未勝利騎手である蛯名正義が起用される。藤沢は、蛯名に対し「受けて立つ競馬をして大丈夫だから」という「指示めいたもの」(石田敏徳)だけを託して出国していた。蛯名が、初めてバブルガムフェローに跨ったのは、レース当日のパドックだった。 出走メンバー唯一の4歳馬として臨む。天皇賞(春)でクラシック三冠馬ナリタブライアンを破りGI初勝利、この年3戦3勝のサクラローレル。重賞4連勝を含む6連勝、通算9戦8勝のマーベラスサンデー。夏に宝塚記念を勝利しGI3勝目を挙げたマヤノトップガンなどの古馬勢が立ちはだかった。揃った17頭は『優駿』によれば「中距離の最高峰レースにふさわしい、ベストメンバー」だったという。サクラローレルが2.5倍の1番人気、マーベラスサンデーが4.0倍の2番人気であり、7.4倍の3番人気がバブルガムフェローの評価だった。そしてマヤノトップガンは、8.1倍の4番人気であり、ここまでがオッズ一桁台に支持されていた。 2枠4番を得たバブルガムフェローは、好スタートから先行する。トウカイタロー、カネツクロスが先導するスローペースの3番手を追走した。直線では、外から追い込むマヤノトップガン、マーベラスサンデー、サクラローレルなどに追われる立場となった。馬場の中央に持ち出し、直線半ばで抜け出したが、追う3頭の中では、マヤノトップガンが最も接近して並びかけてきた。しかし蛯名とバブルガムフェローは、マヤノトップガンの傍らに出向き、併せて相手を挫かせた。他もバブルガムフェローには、及ばなかった。並びかけてきたマヤノトップガンを突き放し、半馬身先着する形で決勝線を通過する。 GI2勝目。第1回・1937年ハッピーマイト以来59年ぶり史上2頭目、出走権が復活してから史上初めてとなる4歳馬による天皇賞制覇を果たす。蛯名は、入線直後にガッツポーズをしてGI初勝利に至っている。蛯名は、前年の天皇賞(春)にてステージチャンプに騎乗した際、ライスシャワーとほぼ同時の入線。その直後にガッツポーズをしたが、2着だったことがあり、それを乗り越えてのGIタイトル奪取だった。カナダの藤沢は、タイキブリザード敗退直後の夜に、ホテルからの国際電話の受話器越しに、天皇賞の実況を聞いていたという。また映像を確認したのは帰国の飛行機だった。 その後は岡部が舞い戻って、11月24日のジャパンカップ(GI)に2番人気で臨むも、終いで伸びずに後退、13着に敗退する。デビュー以来初めてとなる二桁着順となった直後、ある記者が岡部に対し、バブルガムフェローの故障を心配して「壊れたとかではないんですね」と訊いていた。それに対し岡部は「壊れたのは、馬の頭だよ」と切り出し、走る気がなかったと振り返っている。その後は有馬記念を回避し、この年を終えた。 この年のJRA賞では、全183票中40票を集めて最優秀4歳牡馬の第3位、同じく1票で年度代表馬の次点となった。
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天皇賞(春)(4歳5月)
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「ヒシミラクル」の記事における「天皇賞(春)(4歳5月)」の解説
産経大阪杯から1カ月後の5月4日、天皇賞(春)(GI)に出走。出走馬18頭のうち、GI優勝馬はヒシミラクルとダンツフレームのみであり、河村清明によれば「層がかなり薄い」メンバー構成だったという。しかしヒシミラクルは、単勝オッズ16.1倍の7番人気に留まり、直前の阪神大賞典で初重賞勝利を果たしたダイタクバートラムや、金鯱賞優勝馬ツルマルボーイ、中山金杯優勝馬で一昨年の菊花賞2着馬トーホウシデンなどよりも軽視される存在となっていた。 スタートから後方を追走。菊花賞と同じように京都の第3コーナー、坂の上り下りを利用して追い上げ、先行集団に取り付いて最終コーナーを通過した。直線まもなく、すべてかわし、後続の追い上げを振り切り、先頭で入線。後方に半馬身差をつけてGI2勝目。『優駿』には「菊花賞の再現ともいえるレース運び」と評された。 1998年メジロブライト以来となる父内国産馬による天皇賞(春)優勝。前走7着からの優勝は、天皇賞(春)史上最も大きな巻き返しとなった。角田は「大阪杯で負けはしましたが、いい負け方というか、次につながるレースをしてくれたので自信は持っていました。成績が成績なだけにやっぱり人気はありませんでしたが、1番人気より1着ですね。」と述べている。その後、佐山は、持続力のある末脚を活かせるような直線コースの長い東京競馬場の安田記念参戦を目指すと宣言。しかし、疲労の面でそれを断念し、宝塚記念に進んだ。
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天皇賞(秋)
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10月27日の天皇賞(秋)(GI)は、東京競馬場が改修工事のため、1967年以来35年ぶり2度目となる中山競馬場での開催となった。出走メンバーは、シンボリクリスエスを除いてすべて古馬であった。牝馬二冠を含むGI3勝、札幌記念(GII)優勝から臨む4歳牝馬、テイエムオーシャンが単勝オッズ4.9倍。菊花賞優勝馬でこの年GII3戦3勝、6歳牡馬のナリタトップロードが5.1倍。シンボリクリスエスは6.5倍の3番人気であった。 「好スタート」(阿部珠樹)から、18頭中6番手という中団、馬場の最も内側に位置。第3コーナーから、後方勢が位置を上げて馬群は密集した。シンボリクリスエスは変わらず中団で、前方をブレイクタイムとイブキガバメントに阻まれるなど、馬群に囲まれながら最終コーナーを通過した。直線では、テイエムオーシャンが抜け出し、それにブレイクタイムが並びかけ、ブレイクタイムとイブキガバメントの間に隙が生まれた。進路を得たシンボリクリスエスは、そこから追い上げを開始、末脚を見せて抜け出した。シンボリクリスエスの後方で待機し、直線外から追い込んだナリタトップロードに4分の3馬身差をつけ、先頭で入線。GI初勝利となった。 3歳馬による優勝は、1937年ハツピーマイト、1996年バブルガムフェローに続いて史上3頭目。外国産馬による優勝は、前年のアグネスデジタルに続いて史上4頭目。デビュー9戦目での優勝は、バブルガムフェローの7戦に次ぐ史上2位の記録であった。また走破タイム1分58秒5は、コースレコードタイであった。藤沢はバブルガムフェロー以来2勝目、加えて岡部は、1990年ヤエノムテキ以来となる天皇賞(秋)2勝目であった。また岡部はこの時53歳11か月であり、史上最年長GI勝利記録を樹立した。さらにシンボリ牧場系列にとっては、1967年春スピードシンボリ、1985年春のシンボリルドルフ以来3度目の天皇賞優勝であった。 それから11月24日、同じく中山競馬場で行われたジャパンカップ(GI)に、オリビエ・ペリエへ乗り替わって出走。外国調教馬7頭を迎えたこの競走は、4番人気まで日本調教馬が占め、シンボリクリスエスが単勝オッズ3.4倍の1番人気。以降人気は、ナリタトップロード、前年の優勝馬で天皇賞(春)2着から臨むジャングルポケット、ノーリーズンと続いた。シンボリクリスエスは、発馬機内で暴れて出遅れ、後方に位置。最終コーナーにて外から追い上げたが、内から伸びる外国調教馬2頭、9番人気ファルブラヴ、11番人気サラファンの争いにクビ差届かず3着となった。オリビエ・ペリエは「ジャパンカップではゲートで隣の馬がうるさくて出遅れてしまった」ことを敗因としている。
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天皇賞(秋)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:51 UTC 版)
秋は11月2日、東京競馬場の天皇賞(秋)で始動、再びペリエに乗り替わった。単勝オッズ2.7倍の1番人気に推され、人気はヨーロッパ遠征帰国初戦のローエングリン、香港を含むGI級3勝のエイシンプレストン、アグネスデジタル、ツルマルボーイと続いた。 不利とされる大外枠から発走する。ローエングリンとゴーステディがハナを争う一方、馬群の外側、中団に位置した。ハナを争った2頭は、後続に20馬身差をつける大逃げとなり、1000メートルを56.9秒で通過するハイペースを形成。直線では、逃げる2頭が失速し、追う後続が優勢となった。シンボリクリスエスは、進路を外から内に切り替えて末脚を発揮、他の後続勢を上回る脚で抜け出した。以後、先頭を守って入線。最後方で待機し大外から追い込んだツルマルボーイに、1馬身半差をつけて勝利した。 GI3勝目、史上初めて天皇賞(秋)連覇となった。また走破タイム1分58秒0は、コースレコードを樹立。改修前の旧コースで1999年スペシャルウィークが記録したレースレコードに並ぶものであった。加えてペリエは天皇賞(秋)初勝利となり、外国人騎手が天皇賞を制したのは史上初めてのことであった。ペリエは前年に騎乗した際に感じた悪癖が見られなかったことから「馬に乗っているというよりも空を飛んでいるような感じでした。」と述べている。 続いて11月30日、東京競馬場のジャパンカップに出走。外国調教馬9頭を含む18頭が参戦する中、単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された。スタートから中団につけ、第3コーナーからは常にペリエにより促され続けた。直線では大外から追い込んだが、抜け出すことはできなかった。単騎逃げのタップダンスシチーに逃げ切りを許し、9馬身以上後れを取る3着。タップダンスシチーは2位に9馬身差をつけて入線、グレード制導入された1984年以降、GI競走の史上最大着差での優勝を果たしている。
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天皇賞(秋)
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「第39回ジャパンカップ」の記事における「天皇賞(秋)」の解説
詳細は「第160回天皇賞」を参照 2019年10月27日 第160回天皇賞(秋) (GI)天候:晴、馬場状態:良着順馬名性齢騎手斤量タイム着差人気1アーモンドアイ 牝4 C.ルメール 56 1:56.2 1 2ダノンプレミアム 牡4 川田将雅 58 1:56.7 3馬身 0.5 3 3アエロリット 牝5 戸崎圭太 56 1:56.7 クビ 0.5 6 4ユーキャンスマイル 牡4 岩田康誠 58 1:56.8 クビ 0.6 7 5ワグネリアン 牡4 福永祐一 58 1:56.8 クビ 0.6 2 7スワーヴリチャード 牡5 横山典弘 58 1:57.1 0.9 5 10マカヒキ 牡6 武豊 58 1:57.6 1.4 8 アーモンドアイ・ダノンプレミアムの4歳牡馬牝馬エースの再決戦ムードの中行われた第160回天皇賞は、アーモンドアイが完勝。ダノンプレミアム以下は3馬身以上引き離される完敗に終わった。 上位陣からはユーキャンスマイルとワグネリアン、他にスワーヴリチャードとマカヒキが出走。ワグネリアンは福永祐一の騎乗停止により、京阪杯でエイシンデネブに騎乗予定があった川田将雅がテン乗りで騎乗することになった。
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天皇賞(春)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:27 UTC 版)
京都記念・鳴尾記念と連勝で波に乗ったテンポイントが、見事1番人気に応え悲願のタイトル獲得。だが、トウショウボーイ長期休養中で不参加と言う不満が残る勝利であった。
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天皇賞(秋)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:27 UTC 版)
トウショウボーイとグリーングラスが激しく競り合い共倒れ。優勝馬はホクトボーイ。
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天皇賞(春)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:12 UTC 版)
着順馬番競走馬名性齢騎手斤量タイム着差単勝オッズ人気1着 1 ワールドプレミア 牡5 福永祐一 58 3:14.7 5.20 3 2着 12 ディープボンド 牡4 和田竜二 58 3:14.8 3/4 3.600 1 3着 3 カレンブーケドール 牝5 戸崎圭太 56 3:15.2 2 7.3 4 6着 5 ディアスティマ 牡4 坂井瑠星 58 3:15.6 クビ 12.6 7 7着 7 ユーキャンスマイル 牡6 藤岡佑介 58 3:16.2 3.1/2 12.000 5 17着 9 ジャコマル 牡7 横山和生 58 3:16.6 2.1/2 153.9 15 天候:晴、馬場状態:良2021年5月2日に行われた第163回天皇賞(春)はワールドプレミアが制覇、ディープボンドが2着、カレンブーケドールが3位にそれぞれ入着した。
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