ロマン・ローゼン
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ロマン・ロマノヴィッチ・ローゼン男爵(ロシア語: Рома́н Рома́нович Ро́зен, ラテン文字転写: Roman Romanovitch Rosen, 1847年2月24日 - 1921年12月31日)は、帝政ロシアの外交官。日露戦争時の駐日ロシア公使、駐米大使。
注釈
- ^ ローゼンは、ロシア皇帝ニコライ2世から疎まれていたウィッテが主席全権と決まったとき、これを歓迎し、「彼ウィッテは、本国政府の思惑をはばかったり、迎合する根性から、ロシアの真の利益を犠牲にするような男ではない。彼は、現下ロシアで、意見をもつただ一人の人物である」と述べたといわれている[3]。
- ^ 「私には、それよりも彼につき合って踊った有名なあの故ローゼン男の娘の青白い蛾で捏つた彫刻のやうな姿が眼に残ってゐる。希臘的なクリイカットなあの顎のあたりの線が又なく好ましく想ひ出される。今日は散歩の序に、ミス・ローゼンの別荘の傍を通ってみた。青く塗った小さな小綺麗な洋館であった。窓下には紅い蜀葵が咲いて、奥から快いピアノの音が洩れてゐた。」(西条八十『軽井沢日記抄』、1922年)[5]
出典
- ^ 古屋(1966)pp.29-30
- ^ 猪木(1995)pp.56-62
- ^ 半藤(1983)p.107
- ^ ”Elizabeth Romanova Baroness Rosen”ancestry
- ^ 西條八十『西條八十全集: 随筆・小說』(国書刊行会, 2001年)p.73
- 1 ロマン・ローゼンとは
- 2 ロマン・ローゼンの概要
- 3 外部リンク
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