駐朝公使から外務次官にとは? わかりやすく解説

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駐朝公使から外務次官に

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:17 UTC 版)

小村壽太郎」の記事における「駐朝公使から外務次官に」の解説

乙未事変」、「露館播遷」、および「小村・ウェーバー協定」も参照 日清戦争勝利し朝鮮では親日派金弘集内閣成立したものの、1895年10月、この政権誕生するにあたって閔妃殺害される乙未事変起こったため、日本朝鮮での立場危うくなった。日本政府は、これが国際問題発展することを恐れ事件調査のために小村朝鮮派遣した政府は駐朝公使三浦梧楼解任し、日本召喚し逮捕し代わりに政務局長小村を駐朝弁理公使任じた小村は、三浦に対して実は内心では同情的だったというが、関与疑われる者を国外退去にするなど事態収拾のために奔走した。なお、日清戦争前の小村肩書臨時代理公使だったので、正式な公使としては初めての赴任であった。しかし、閔妃殺害事件によって朝鮮半島では反日派勢い強まりし、義兵闘争激化していた。また、国王高宗その人もまた強固な反日主義者であって小村もその対策難渋した小村は、11月下旬親露派親米派によるクーデター事件未然防いだ春生門事件)。しかし、1896年2月起こった露館播遷俄館播遷)」は、国王ロシア公使館にうつり、そこで政務執るという異常事態であり、小村にとっては痛恨の極みであったそれまで金弘集内閣支えることに全力注いできた小村であったが、金弘集自身日本への亡命をあえて拒んだころから民衆によって斬殺されてしまった。そして、親露反日内閣誕生して朝鮮半島における利権多くロシアなどにわたってしまったのである露館播遷に関しては、ロシア出し抜かれ責任小村にあるとして彼を批判する声が上がり暗殺する脅した者さえいたという。小村は、失地回復のために動きロシア交渉して高宗遷宮する道筋をつけたうえで、1896年5月在朝ロシア総領事のカール・ウェーバーとのあいだで小村・ウェーバー協定結んだ国王王宮帰還日露両国忠告するともに、朝鮮に対して日本が持つ権利ロシアが持つ権利同等ものとすることを相互に認め合う内容であった小村が駐朝公使だったのは、わずか半年あまりのことであったが、その間経験強烈であり、その後彼の外交政策外交姿勢あたえた影響きわめて大きかった。なお、この1か月後にはニコライ2世戴冠式のためにサンクトペテルブルク訪れた山縣有朋アレクセイ・ロバノフ=ロストフスキー外相との間で協定結んでいる(山縣・ロバノフ協定)。 1896年6月11日小村日本呼び戻されて、原敬に代わって外務次官着任し以降西園寺公望大隈重信西徳二郎3人の外相の下で外務次官務めることになる。陸奥宗光療養専念するために5月30日外相辞職し第2次伊藤内閣文部大臣だった西園寺公望兼務して陸奥後任外相となっていた。露館播遷許してしまったことは、小村としては大失態のはずであったが、陸奥はこれを責めことなく、むしろその能力高く評価し、その外相辞任直前小村次官抜擢したのであるその後この年9月第2次松方内閣成立し1897年11月6日までは大隈その後は西が外相務め、西は第3次伊藤内閣でも留任した西徳二郎は、サンクトペテルブルク大学学びロシア公使10年務めた当代きってのロシア通であり、日露関係難し時期迎えていたこの時期小村からすれば、西の下で働くのは心強かっただろうと考えられる結果的に小村外務次官2年3か月務めた。この時期小村は、韓国問題列国の対清活動アメリカ合衆国ハワイ併合などに関する対策あたった。特に力を入れたのは、大韓帝国での鉄道敷設獲得であった1898年4月25日、西外務大臣駐日公使ロマン・ローゼンとのあいだで西・ローゼン協定結ばれたが、その内容には、日本韓国へ経済進出帝政ロシア認めさせる条文含まれており、これには小村進言影響うかがわれる

※この「駐朝公使から外務次官に」の解説は、「小村壽太郎」の解説の一部です。
「駐朝公使から外務次官に」を含む「小村壽太郎」の記事については、「小村壽太郎」の概要を参照ください。

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