せんぐう 【遷宮】
遷宮
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遷宮(せんぐう)とは、神社の本殿の造営または修理の際に、神体を従前とは異なる本殿に移すことである。
- ^ a b 「祭りを守る ①津市の香良洲神社 変化受け入れ遷座維持」河北彬光 2012年1月3日 中日新聞朝刊、三重版16ページ
- ^ デジタル大辞泉 小学館(遷座)2013年9月5日閲覧
- ^ 20年に一度!伊勢神宮・式年遷宮大百科
- ^ 『みえまんなか学のすすめ vol.2』みえ歴史街道構想津安芸久居一志地域推進協議会、2002年3月、79pp.(27ページより)
- ^ “上賀茂神社で奉納舞台 10月の式年遷宮、宮本亜門さん演出”. スポニチ (2015年7月30日). 2015年7月30日閲覧。
- ^ 伊勢神宮は20年に一度という短さもあって国宝になっていないが、国宝になると建て替えに制限がなされる可能性があるからである。(五十嵐太郎『おかしな建築の歴史』エクスナレッジ 2013年p.169)
- ^ 春日大社 第六十次 式年造替記念 奉祝行事実行委員会
- ^ 出雲大社 平成の大遷宮(出雲大社ホームページ)
- ^ 『出雲大社』千家尊統、2012年
遷宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 13:58 UTC 版)
もともとは龍口(たつのくち)の龍口寺西隣に建っていたが、安政2年(1773年)に龍口が片瀬村(現藤沢市片瀬)に編入されて以降、境内地のみ津村の飛び地として扱われた。鎌倉時代には刑場として使用された時期もあり、氏子達は祟りを恐れ、長年移転を拒んでいたという。 大正12年(1923年)、関東大震災により全壊、昭和8年(1933年)に龍口の在のままで改築したが、昭和53年(1978年)に、氏子百余名の要望により、江の島を遠望し、龍の胴にあたる現在の地へと移転した。 なお移転後の現在も、旧境内は鎌倉市津1番地として飛び地のまま残っており、拝殿・鳥居なども、移転前の姿で残されている。
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遷宮
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江戸時代に実施された当社の遷宮の記録が残っている。当社と歴史的に関わりのある岡本家の古文書の中から棟札の写しが発見されており、それによると貞享2年(1685年)以降の約120年間に5回の遷宮や屋根の葺き替えが行われ、さらにその後も明治27年(1894年)まで数回の遷宮や修復を実施した記録が残っている。 なお、遷宮において新社殿を造営する際には新しい部材で全体を造り直すことはせずに傷んだ部材のみを交換していたことから、現在でも当社本殿の部材に天正期頃のものが使用されている。
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「遷宮」の例文・使い方・用例・文例
- 遷宮式
- 伊勢神宮の遷宮のあった翌年
- 伊勢神宮の遷宮の翌年に伊勢神宮へ参詣すること
- 伊勢神宮の遷宮の翌年に伊勢参りをすること
- 下遷宮という,神体を仮殿へ移す儀式
- 遷宮や祭礼に際し,神体が新殿や御旅所に渡御する
- お白(しら)石(いし)持(もち)行事は式年遷宮の式典の1つだ。
- 式年遷宮は,20年に1度の内宮と外(げ)宮(くう)の正(しょう)殿(でん)の建て替えを含む慣習で1300年続いている。
- 「遷御の儀」では,神聖な八(や)咫(たの)鏡(かがみ)が,内宮の正殿から遷宮の儀式の一(いっ)環(かん)として新しく造営された建物に移された。
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