遷宮の斎行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 03:11 UTC 版)
応仁の乱以降の戦乱の中、神領の押領により伊勢神宮の財政が悪化し、社殿は荒廃、内宮の式年遷宮は寛正3年(1462年)以来途絶していた。守晨は文明11年(1479年)9月23日風日祈宮遷宮に奉仕した後、明応6年(1497年)には自宅に祢宜守則・守誠・経任・守武・守富、宮政所大夫師秀等を集めて仮殿の造営・遷宮を計画し、氏経が残した記録を参照しながら、10月3日御装束裁縫行事、9日御船代祭・鎮地祭・後鎮祭、11日河原祓・御飾式・遷御、13日古物渡式を行った。 永正6年(1509年)守則と私力で忌火屋殿・調御倉・五丈殿を造営した。永正8年(1511年)頃には仮殿も腐朽したため、永正9年(1512年)3月28日転倒の恐れがあることを後柏原天皇に直奏するよう祭主に求めた。永正10年(1513年)造宮使大中臣伊忠・作所職荒木田氏秀と遷宮斎行を計画し、永正12年(1515年)閏2月11日大宮司に斎行の沙汰を求めたが、生前には完成せず、永正18年(1521年)6月13日仮殿遷宮が斎行された。
※この「遷宮の斎行」の解説は、「荒木田守晨」の解説の一部です。
「遷宮の斎行」を含む「荒木田守晨」の記事については、「荒木田守晨」の概要を参照ください。
- 遷宮の斎行のページへのリンク