刈田嶺神社_(蔵王町遠刈田温泉)とは? わかりやすく解説

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刈田嶺神社 (蔵王町遠刈田温泉)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/05 05:28 UTC 版)

刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)は、奥羽山脈蔵王連峰宮城県側、刈田岳東麓の遠刈田にある神社。刈田岳(標高1,758m)山頂の「刈田嶺神社」と対になっており、山頂の同名社を「奥宮」、当社を「里宮[1]」と言う。神体は、夏季に山頂の「奥宮」に、冬季は麓の「里宮」にと、両宮の間を季節遷座している。


  1. ^ かつては「蔵王大権現御旅宮」(おかりのみや)と言った
  2. ^ ■「刈田嶺神社雪かき奉仕」(4月21日)(大崎八幡宮「八幡さま日記」)
  3. ^ 刈田嶺神社(宮城県神社庁)
  4. ^ 白鳳西暦との対応は1対1ではない。宮城県神社庁の記述では、白鳳8年を天武天皇在位期間中であるとしているため、672年を白鳳元年とする方が採用されている。
  5. ^ その2 刈田嶺神社 (1)(蔵王町の歴史と文化財 公式ホームページ「どきたんドットコム」蔵王町教育委員会)
  6. ^ 田辺希文1772『封内風土記』では、応仁の乱後、悉く荒廃し、ただ宮本坊・嶽之坊・山之坊を残すのみとする。
  7. ^ 『封内風土記』には、延宝のころ、荒廃すとある。
  8. ^ 『封内風土記』では、天正中、貞山君(伊達政宗)が寶池山蓮蔵寺の山・寺号を与え200石の地を寄付したという。蔵王権現之社の事は往古より願行寺が総裁しており、その旧例により、蓮蔵寺が諸事を管領することになった。
  9. ^ 『封内風土記』によると、金峯山蔵王寺は蓮蔵寺末寺で、応安中、羽州蔵王嶽道には朴澤口、上ノ山口、半郷口があり、それぞれ天台宗修験の三乗院、安楽院、覚善坊、これを羽州三別当という、皆旧例により嶽之坊の指揮を受け社務を執った。


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