明治5年 (みずのえさる 壬申)
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年(年号) | |
●1853年 (嘉永6年) | ■黒船来航 |
●1855年 (安政2年) | ■安政江戸地震 |
●1858年 (安政5年) | ■安政の大獄 |
●1860年 (万延元年) | ■桜田門外の変 |
●1862年 (文久2年) | ■生麦事件 |
●1863年 (文久3年) | ■薩英戦争 |
●1867年 (慶応3年) | ■大政奉還 |
●1868年 (明治元年) | ■鳥羽・伏見の戦い |
●1869年 (明治2年) | ■版籍奉還 |
●1871年 (明治4年) | ■廃藩置県 |
●1871年 (明治4年) | ■解放令 |
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●1873年 (明治6年) | ■徴兵制布告 |
●1876年 (明治9年) | ■廃刀令 |
●1877年 (明治10年) | ■西南戦争 |
●1877年 (明治10年) | ■東京大学設立 |
●1882年 (明治15年) | ■上野動物園開園 |
●1883年 (明治16年) | ■鹿鳴館完成 |
●1889年 (明治22年) | ■大日本帝国憲法発布 |
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1872年
1872年(34歳)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 14:31 UTC 版)
「フランツ・ブレンターノ」の記事における「1872年(34歳)」の解説
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1872年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/24 03:54 UTC 版)
「3フィート6インチ軌間」の記事における「1872年」の解説
1872年1月、ロバート・フェアリーは、自書「Railways Or No Railways: Narrow Gauge, Economy with Efficiency v. Broad Gauge, Costliness with Extravagance」で、1067 mm軌間での鉄道の建設を提唱した。
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1872年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 04:05 UTC 版)
詳細は「1872年」を参照 9月5日(明治5年8月3日) - 学制発布。 10月14日(9月12日) - 新橋〜横浜(現桜木町)間の鉄道開業。 12月28日(11月28日) - 徴兵の詔(徴兵制度)。 修験道廃止
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1872年(明治5年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:05 UTC 版)
学制。琉球藩設置、琉球国王の実質的廃位。初めて全国の戸籍調査を実施(総人口3311万825人)。太陽暦の採用(十一月九日の改暦詔書)。2月15日、田畑永代売買禁止令を解く、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日とした)。
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1872年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 18:13 UTC 版)
1872年に再開されたサロンは、美術長官シャルル・ブランの下、アカデミーの権限が再び強められ、保守性を増した。シャルル・ブランと公教育省大臣ジュール・シモン(英語版)は、合理的・普遍的な美というフランス革命以来の共和主義者の理念を受け継ぐとともに、中央集権化した国家機関による芸術の統制を図るため、芸術アカデミーの権威を高める方針をとった。 マネは『キアサージ号とアラバマ号の海戦』が入選し、ルノワールは落選した。モネ、ピサロ、シスレー、ドガは応募していない。 マネ『キアサージ号とアラバマ号の海戦(英語版)』1864年。油彩、キャンバス、137.8 × 128.9 cm。フィラデルフィア美術館。
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1872年(明治5年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/11/14 03:41 UTC 版)
「1872年-1907年の国鉄ダイヤ改正」の記事における「1872年(明治5年)」の解説
5月17日(旧暦・この翌年から使用が開始された新暦だと6月12日) 日本初の鉄道となる品川駅 - 横浜駅(現在の桜木町駅)間が仮開業。途中に駅はなし。当初、日2往復の列車が設定された。 6月5日(新暦7月10日) 途中駅として川崎駅と神奈川駅(現在廃止)が開業。 9月12日(新暦10月14日) 新橋駅(後の汐留駅で、現在廃止) - 横浜駅が正式開業。翌日より営業を開始。旅客列車の本数も日9往復(12時を除いて8時から18時まで毎時1本ずつ)へ増発される。
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1872年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/19 16:22 UTC 版)
2月2日 - フランスのアンリ・デュピュイ・ド・ロームが開発した人力でプロペラを駆動して操縦する気球が初飛行した。 12月13日 - ドイツのパウル・ヘンラインが合成ガス(Syngas)を燃料とするエンジンを用いる飛行船のテスト飛行を行ない時速19kmの速度で飛行した。
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「1872年」の例文・使い方・用例・文例
- ノルウェー人の探検家で、北西航路を初めて横断し、1911年に南極に初めて到達した(1872年−1928年)
- 英国の作家で風刺画家(1872年−1956年)
- フランスの飛行士で、1909年に英仏海峡を横断する最初の飛行を行った(1872年−1936年)
- 英国の辞書編集者で、オックスフォード英語辞典の共同編集者(1872年−1966年)
- ロシアのバレエ興行主で、ロシアバレエの基礎を築き、後にそれを西洋に紹介した(1872年−1929年)
- 政治的な野心をもつ米国のジャーナリスト(1811年−1872年)
- イタリアの国粋主義者で、その著作がイタリアの統一と独立の運動を刺激した(1805年−1872年)
- 米国の将軍で、ゲティスバーグの闘争の北軍の責任者(1815年−1872年)
- オランダ人の画家で、(直角の線と原色の面が交差する)その作品が抽象芸術の発展に影響した(1872年−1944年)
- 米国の詩人で、皮肉と分別で知られる(1887年−1872年)
- 米国の似顔絵画家で、電報の特許を取り、モールス符号を開発した(1791年−1872年)
- 米国の女性作家で、エチケットに関する本と合同新聞のコラムを書いた(1872年−1960年)
- 英国の哲学者、数学者で、ホワイトヘッドと協力した(1872年−1970年)
- オーケストラ音楽とピアノ音楽のロシアの作曲家(1872年−1915年)
- 1867年に国務長官としてのロシア(スワードの愚行の時期として知られる)からアラスカの購入を手配した米国の政治家(1801年−1872年)
- オランダ人の天文学者で、宇宙の大きさを計算し、それが拡大していると提案した(1872年−1934年)
- 米国の法律専門家で、連邦最高裁判所の長官を勤めた(1872年−1946年)
- 米国の法律専門家で、1941年にフランクリン・D・ルーズベルトによって連邦最高裁判所の長官に任命された(1872年−1946年)
- 肖像と歴史場面の米国の画家(イングランド生まれ)(1783年−1872年)
- 英国の作曲家で、民族音楽の調べやチューダー期の音楽に影響された(1872年−1958年)
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