あんせい‐えどじしん〔‐えどヂシン〕【安政江戸地震】
安政江戸地震
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安政江戸地震(あんせいえどじしん)は、安政2年10月2日(1855年11月11日)午後10時ごろ、関東地方南部[2] で発生したM7クラスの地震である。世にいう安政の大地震(あんせいのおおじしん)は、特に本地震を指す[3][4][5] ことが多く、単に江戸地震(えどじしん)とも呼ばれる[6]。
- ^ “19世紀後半、黒船、地震、台風、疫病などの災禍をくぐり抜け、明治維新に向かう(福和伸夫)”. Yahoo!ニュース. (2020年8月24日) 2020年12月3日閲覧。
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- ^ * 中村操、松浦律子:1855年安政江戸地震の被害と詳細震度分布 (PDF) 歴史地震研究会 歴史地震26号(2011)33-64頁
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- ^ 「安政江戸地震」のメカニズム解明 清水建設技術研(日本経済新聞 2016年8月22日閲覧)
- ^ 河角廣(1951) 「有史以來の地震活動より見たる我國各地の地震危險度及び最高震度の期待値」 東京大學地震研究所彙報 第29冊 第3号, 1951.10.5, pp.469-482, hdl:2261/11692
- ^ 引田智樹、工藤一嘉(2001):「経験的グリーン関数法に基づく1855年安政江戸地震の震源パラメーターと地震動の推定」 日本建築学会構造系論文集 2001年 66巻 546号 p.63-70, NAID 110004304069, doi:10.3130/aijs.66.63_3
- ^ 震災予防調査会編『大日本地震史料』下巻、丸善、1904年
- ^ 東京大学地震研究所『新収 日本地震史料 五巻 別巻二-一 安政二年十月二日』日本電気協会、1987年
- ^ 東京大学地震研究所『新収 日本地震史料 五巻 別巻二-二 安政二年十月二日』日本電気協会、1987年
- ^ 東京大学地震研究所『新収 日本地震史料 続補遺別巻』日本電気協会、1994年
- ^ a b 報告書(1855 安政江戸地震) 防災情報のページ - 内閣府
- ^ 中村操, 松浦律子(2011): 1855年安政江戸地震の被害と詳細震度分布 (PDF) 歴史地震, 第26号, 33-64.
- ^ 町方の死者は4293人、負傷者は2759人(町奉行所調べ)とされている。大名屋敷での死者は2000人を上回るとステイされるが、旗本や御家人の死者は不明なので、江戸市中全体の死傷者の数は不明である(知野泰明「近世の災害2」/ 北原糸子編著『日本災害史』吉川弘文館 2006年 220ページ)
- ^ 中村操, 茅野一郎, 唐鎌郁夫(2002): 安政江戸地震(1855/11/11)の江戸市中の被害 (PDF) 歴史地震, 第18号, 77-96.
- ^ a b 宇津徳治、嶋悦三、吉井敏尅、山科健一郎 『地震の事典』 朝倉書店、2001年
- ^ a b 石橋克彦 『大地動乱の時代 -地震学者は警告する-』 岩波新書
- ^ 相田勇、1855年安政江戸地震が津波を伴った可能性 地震 第2輯 1996年 49巻 1号 p.55-63, doi:10.4294/zisin1948.49.1_55
- ^ 中村操, 松浦律子, 白石睦弥(2006): [講演要旨]安政江戸地震について (PDF) 歴史地震, 第21号, 61-62.
- ^ 安政見聞誌 日本社会事業大学附属図書館, デジタル・ライブラリー
- ^ 武者金吉 『日本地震史料』 毎日新聞社、1951年
- ^ 北原糸子『安政大地震と民衆』三一書房、1983年 ISBN 978-4642063920
- ^ 安政見聞誌 日本社会事業大学附属図書館, デジタル・ライブラリー
- ^ 都司嘉宣『千年震災』ダイヤモンド社、2011年 ISBN 978-4478016114
- ^ 湯村哲男(1969)、湯村哲男(1969) 本邦における被害地震の日本暦について 地震 第2輯 1969年 22巻 3号 p.253-255, doi:10.4294/zisin1948.22.3_253
安政江戸地震
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安政江戸地震(1855年)では「人は一代のうちに必ず災害に遭う」と考え、土蔵の縁の下に500円分の金貨を残し、関東大震災で無事であった。
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