八戸藩とは? わかりやすく解説

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八戸藩

読み方:ハチノヘハン(hachinohehan)

陸奥国八戸藩名


八戸藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/24 02:32 UTC 版)

八戸藩(はちのへはん)は、陸奥国三戸郡八戸城(現:青森県八戸市)に藩庁を置き南部家が治めていた


  1. ^ 工藤祐董著『八戸藩の歴史』八戸市、1999
  2. ^ 小口雅史、長谷川成一・村越潔・斉藤利男・小岩信竹 『青森県の歴史』山川出版社、東京都、2000年、p.240, 251頁。ISBN 978-4-634-32020-8 


「八戸藩」の続きの解説一覧

八戸藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/16 15:37 UTC 版)

通 (南部藩)」の記事における「八戸藩」の解説

八戸藩の領内行政区分盛岡藩同様に通制」を用い勘定頭代官指揮して民政の当たる。各区域には各2名ずつ代官置かれていたが、領外飛地)の志和については4名に増員された。 八戸藩の行政区町奉行 八戸城八戸三戸郡 18 九戸郡 1ヵ村 長苗代通 三戸郡 12 名久井通 三戸郡 11 軽米九戸郡 19 久慈九戸郡 18 志和 志和郡 4ヵ

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八戸藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 21:27 UTC 版)

宝暦の飢饉」の記事における「八戸藩」の解説

八戸藩では、宝暦年間のうちでも損害額1万石以上という年宝暦3年1753年)、宝暦5年宝暦12年1762年)と3回あり、いずれも大凶であったが、特に宝暦5年秋から翌6年の夏にかけての飢饉被害著しかった旱魃害虫被害領内襲い宝暦5年4月中旬からはヤマセ吹いた5月上旬からは大雨降り続き、同20日から23日にかけて洪水となって川欠山崩れなど大きな被害出た6月上旬から8月中旬にかけて冷たい「東北風」が吹いて毎日降り続いた8月16日17日には大霜降りその後天候不順続いた。稗や蕎麦実入りはあったが、稲は出穗無く青立ちとなった。これらの被害によって、表高2万石のうち1万8573石の損毛高を幕府書き上げている。 領民の根を掘り橡の実の粥、楢の実の餅を食べて飢え凌いだ困窮のため盗人追剝強盗多く発生し、藩の家中への扶持も、米に代わって粟・稗が支給された。 宝暦5年10月久慈地方百姓から雑穀味噌拝借願が出されたが、藩は雑穀有り合せが無いと断り味噌嘆願半分だけ認めた。同6年3月軽米通から出され種籾拝借願は、領内一同のことなので面倒を見きれないとして却下した。その一方で年貢取り立て厳しく11月代官に対して凶年のため上納はかどらず難渋するかもしれないが、家中扶持米確保しなければならないので、取り立て尽力せよと命じ上納できない百姓潰してかまわない述べた。同6年1月八戸廻の百姓年貢残金延納願い出たが、これも却下している。なお、八戸藩は幕府に米の拝借願い出た許可されなかった。この飢饉による餓死者は7000人と伝わる。

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八戸藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 23:31 UTC 版)

南部氏」の記事における「八戸藩」の解説

詳細は「八戸藩」を参照 近世には盛岡藩から八戸藩が分立するが、これは、盛岡南部氏当主南部重直が、実子養子死後将軍 徳川家綱面会して後継者選定と家の存続願い、それに基づき重直の死後家綱裁定して、寛文4年1664年12月に重直の異母弟南部重信2万減封して盛岡8万石与えて家を相続させ、同じく異母弟重信とも異母兄弟)の南部直房新知として八戸2万石を与え事実上分割相続行った際に創立したのである。 直房の子南部直政は、将軍 徳川綱吉側衆経て側用人となり、江戸時代において南部氏唯一幕政参画した。重信は後に幕府盛岡藩高直しを願い出て、八戸藩を含まずに、8万石から10万となっている。

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