まち‐ぶぎょう〔‐ブギヤウ〕【町奉行】
町奉行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 13:56 UTC 版)
町奉行(まちぶぎょう)とは、江戸時代の職名で、領内の都市部(町方)の行政・司法を担当する役職。幕府だけでなく諸藩もこの役職を設置したが、一般に町奉行とのみ呼ぶ場合は幕府の役職である江戸の町奉行のみを指す。また、江戸以外の天領都市の幕府町奉行は大坂町奉行など地名を冠し遠国奉行と総称する。なお、後北条氏の例のように、江戸時代以前に町奉行という役職が用いられたこともある。
- ^ a b 石井良助『江戸の町奉行』明石書店、13頁。ISBN 978-4750337104。
- ^ a b c 石井良助『江戸の町奉行』明石書店、21頁。ISBN 978-4750337104。
- ^ a b c d e f g h 石井良助『江戸の町奉行』明石書店、20頁。ISBN 978-4750337104。
- ^ 山本博文『江戸の組織人』(2008年 新潮文庫)51-52頁
- ^ a b 石井良助『江戸の町奉行』明石書店、16-17頁。ISBN 978-4750337104。
- ^ 山本『江戸の組織人』P53-54
- ^ a b 日本放送協会. “江戸時代の奉行は慎重だった? 当時の貴重な「裁判記録」発見 | NHK”. NHKニュース. 2022年5月1日閲覧。
- ^ 山本『江戸の組織人』P82-84
- ^ 山本『江戸の組織人』62-63頁
- ^ 山本『江戸の組織人』68-70頁
- ^ 山本『江戸の組織人』P55
- ^ 山本『江戸の組織人』P57-58
- ^ 山本『江戸の組織人』P46-48
- ^ 山本『江戸の組織人』P49
- ^ a b c 石井良助『江戸の町奉行』明石書店、14頁。ISBN 978-4750337104。
- ^ a b 石井良助『江戸の町奉行』明石書店、17頁。ISBN 978-4750337104。
- ^ a b 石井良助『江戸の町奉行』明石書店、18頁。ISBN 978-4750337104。
- ^ 石井良助『江戸の町奉行』明石書店、17-18頁。ISBN 978-4750337104。
- ^ 山本『江戸の組織人』P60-61
- ^ 東京都中央区立京橋図書館 1985, p. 128.
町奉行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 23:15 UTC 版)
史実ではお七の事件時天和3年3月、甲斐庄飛騨守正親が南町奉行を務め、北条安房守氏平が北町奉行を務めている。 大谷女子大学教授の高橋圭一はお七の時代の火付改役は犯人の逮捕と奉行所への送付が仕事で裁判は町奉行所の仕事のはずであり、前述の中山が判決まで下したと言う各種の作品は創作であろうとしている。 文芸作品によっては八百屋お七物の登場人物として、南町奉行甲斐庄正親 や北町奉行北条安房守氏平がお七の裁きの奉行を務めることがある。彼らも本音ではお七の命だけは助けてやりたいが、お七が正直に自白してしまったのでやむなく定法通り火あぶりにする奉行、と設定されることが多い。
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町奉行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 00:09 UTC 版)
仙波一之進 南町奉行所の同心。36、7歳。どんな時でも黒足袋に草履を履いている。 松平定信の緊縮政策に忠実に従っているに過ぎないが、「千に一つの目こぼしがない」と恐れられ、名前と掛けて「千一」というあだ名で呼ばれる。おりよ殺害事件に関わっていく内に、改革の本質に疑問を持ち、それに従って厳しく取り締まりをする自分にも嫌気が差すようになる。菊弥 仙波が使っている小者。24歳。 安井才蔵 仙波の同輩。仙波にいろいろ借りがある。呑気な性格。義兄(妻の兄)は北町奉行に務めている。 佐野平太郎 南町奉行所与力。仙波の上役。おりよの事件はもう調べるなと仙波に釘を刺す。その後も何かと仙波の動きを阻止するような指示を出す。 池田長恵 南町奉行。 初鹿野信興 北町奉行。頑迷で融通の利かない人物。老中が改革を断行する前から奉行を務めている。
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町奉行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:36 UTC 版)
主に学園島で発生する事件・事故を受け持つ風紀委員。10万人が生活する学園島において一つの奉行ではとうてい賄えないため、北町と南町の二つの奉行所が存在する。
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町奉行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:25 UTC 版)
定員は2名。商業や物価の適正化や戸籍調査などの民事の取締まりと犯罪人逮捕の警察行為を主務とした。通常は会所(評定所)に詰めるが、藩主在国中は城内上の間に出仕した。城下膝元を司る要職のため、番頭を兼帯。従って足高による給付が行われたことは、ほとんどない。役高は200石高。『新潟市史』では新潟町奉行と区別して長岡町奉行と呼称している。ちなみに長岡町奉行の方が新潟町奉行より序列は高い。
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