浅野長祚とは? わかりやすく解説

浅野長祚

幕末・明治幕臣書画家江戸生。字は胤卿、号は堂・池香・蔣潭。播州赤穂藩主浅野家一族和泉守浦賀奉行京都奉行となる。書を杉浦西涯、画を栗本翠庵椿椿山学び、ともに能くす。また書画の鑑に通じ、『漱芳閣書画銘心録』等を著す。明治13年(1880)歿、64才。

浅野長祚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/03 08:52 UTC 版)

浅野 長祚(あさの ながよし、文化13年6月9日1816年7月3日) - 明治13年(1880年2月17日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけての幕臣旗本)、蔵書家、芸術鑑定家。通称は金之丞。官途中務少輔和泉守備前守など。号の梅堂でも知られる。他に池香、蔣潭、蝦侶斎漱芳閣、楽是幽居、柏洪楼などとも名乗った。娘の花子は川路寛堂に嫁いでいる。


  1. ^ 「其砲とても、多くは旧式にて、たまたま少数の洋式砲あるも、弾丸の備は僅に数発に留まり、甚しきは全く弾丸なきもありて、火薬も亦之に準ず。戦艦と称すべきものは固より有ることなく、先年奉行より軍艦の製造を請へるに、御沙汰に及び難しとて僅に押送船一艘の増加を許され、(中略)、非常金の備なく、事ある時は町人に立替へせしめ、五七箇月を過ぎて代金を下げ渡すを常とすれども、異変の際は町人恐怖して立替の命に応ぜざるべきが故に、水主・船頭・多人数の兵糧先づ欠乏して、一日の防戦も覚束なし」(『徳川慶喜公伝』(渋沢栄一)『陸軍歴史』(勝海舟)など)。
  2. ^ 徳川実紀』慎徳院殿(徳川家慶)御実紀嘉永五年閏二月十日条。
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.36


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