亀田藩
亀田藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 03:02 UTC 版)
亀田藩は久保田藩などと共に奥羽越列藩同盟を脱退し新政府軍へ与していたが、途中で庄内藩へ降伏し、庄内軍に合流して新政府軍を攻撃したため、最終的に朝敵となっていた。亀田藩主・岩城隆邦は強制隠居の上で謹慎、所領2万石のうち2,000石を没収。隆邦にはまだ子が無く、兄弟もすべて早世または他家の養子になっていたため、親族の堀田家から隆彰を養子に迎えて後継を許された。 庄内藩と同様、亀田藩への処分も比較的軽いもので済んだ。これは降伏嘆願書を提出した黒田清隆に、秋田と庄内に挟まれた小藩の事情を考慮させることに成功したためとされている。
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