岩城親隆とは? わかりやすく解説

岩城親隆(いわき ちかたか) ????~1594


岩城親隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/15 08:22 UTC 版)

 
岩城 親隆
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 文禄3年7月10日1594年8月25日[1]
改名 鶴千代丸(幼名)→宣隆[2][3](初名)→親隆
別名 孫二郎[2]/孫次郎[3]/孫四郎[4]
戒名 光山[2]/光山本公[5][6]
官位 従四位下[3]左京大夫[2]
氏族 伊達氏岩城氏
父母 父:伊達晴宗、母:久保姫岩城重隆娘)
養父:岩城重隆
兄弟 親隆阿南姫二階堂盛義正室)、
伊達輝宗留守政景石川昭光国分盛重
杉目直宗、鏡清院(伊達実元正室)、
益穂姫(小梁川盛宗室)、
彦姫(蘆名盛興正室→蘆名盛隆正室)、
宝寿院(佐竹義重正室)
桂樹院(佐竹義昭娘)[3][7]
常隆
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岩城 親隆(いわき ちかたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将戦国大名岩城氏16代当主。伊達政宗の伯父にあたる。

生涯

陸奥国伊達晴宗の長男として誕生[8]天文3年(1534年)の合戦の際、父・晴宗と外祖父・岩城重隆との約定により、重隆の養嗣子となって岩城氏の家督継承者となる。永禄12年(1569年)、養父・重隆が没すると家督を継承した[9]

近隣の田村氏石川氏の領土を侵したり、二階堂盛義の援助のため出兵するなどの小規模の軍事活動がみられるが、基本的には重隆以来の外交重視の路線を踏襲しており、実家伊達氏において実父・晴宗と実弟・輝宗が対立すると仲裁し、また、二階堂氏の去就をめぐり対立する伊達氏と蘆名氏との和睦を斡旋した記録も存在する。叔父・伊達実元に対し実父と実弟の関係を憂慮する内容の手紙を交換するなど、実家伊達氏との関係は重視していたようである。

常陸国佐竹氏佐竹義昭の代より石川氏や白河結城氏の従属化を目指し陸奥に進出するようになり、かつては友好的であった岩城氏との関係も先代・重隆の時代より徐々に悪化しつつあった。親隆は義昭の娘を妻に迎えていたにもかかわらず関係は改善しなかった。永禄11年(1568年)から元亀2年(1571年)にかけて佐竹氏とたびたび軍事衝突を起こす最中、養父・重隆は病死し、親隆もまもなく動静が不明となる。その後は佐竹氏出身の親隆夫人が当主代行として振舞うようになり、佐竹義昭の子・義重が岩城氏の家政に介入するようになることから、この前後に岩城家中に何らかの異変があったものと推測されている(親隆が病のため狂乱し、当主としての活動が不可能になったためともいわれる[10])。

天正6年(1578年)頃には親隆の子・常隆が当主に就任し、親隆夫人がその後見役を務めた。親隆は記録上は文禄3年(1594年)まで存命していたとある。

脚注

  1. ^ 『史料綜覧』第11編之913 60頁
  2. ^ a b c d 『系図纂要』
  3. ^ a b c d 『亀田岩城家譜』
  4. ^ 『岩城系譜』
  5. ^ 『常陸三家譜』
  6. ^ 『伊達族譜』
  7. ^ 『寛政重修諸家譜』
  8. ^ 伊達稙宗の子としている系図(『永禄伊達系図写』(原本永禄3年(1560年))」/仙台市博物館蔵)等もある。
  9. ^ 大日本史料』第10編之2 733頁
  10. ^ 重隆が存命中より心の病を深めていたという(垣内和孝『伊達政宗と南奥の戦国時代』(吉川弘文館、2017年) ISBN 978-4-642-02938-4 P18)

出典

  • 『班寅集』(三)
  • 系図纂要』(五十)
  • 『岩城系譜』
  • 『常陸三家譜』
  • 『伊達族譜』(内族譜 岩城)
  • 寛政重修諸家譜
  • 『永禄伊達系図写』



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