岩城邦規とは? わかりやすく解説

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岩城邦規

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/30 06:55 UTC 版)

 
伊達邦規/岩城邦規
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天保4年(1833年
死没 明治9年(1876年1月2日
改名 伊達邦規→岩城邦規→基規?
別名 通称:数馬
主君 伊達慶邦
陸奥仙台藩
氏族 伊達氏岩城氏
父母 父:伊達宗恒、養父伊達義隆
兄弟 伊達邦実、三沢邦為、邦規
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伊達 邦規(だて くにのり)/岩城 邦規(いわき くにのり)は、江戸時代後期から幕末にかけての武士陸奥国仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達家11代当主。

生涯

享和3年(1833年)、亘理伊達氏12代当主・伊達宗恒の三男として生まれる。

文久2年(1862年)8月、叔父で岩谷堂伊達氏10代当主・伊達義隆の死去により家督を相続し、岩谷堂邑主となる。仙台藩13代藩主・伊達慶邦偏諱を受け伊達数馬邦規と名乗った[1]

慶応4年(1868年)、戊辰戦争の際に藩主一門として出陣するも、仙台本藩が敗戦で知行を4分の1に削減されたことにより、代々領した岩谷堂領を没収される。明治2年(1872年)、先祖の姓である岩城氏に復姓した。

明治9年(1876年)1月2日、死去。享年44。

参考文献

  • 『仙台人名大辞書』

脚注

  1. ^ のちに慶邦の子・宗基から再度偏諱を賜って基規(もとのり)に改めたとする系図もある*
先代
伊達義隆
岩谷堂伊達(岩城)家
第11代: -
次代



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