伊達邦実とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 伊達邦実の意味・解説 

伊達邦実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:21 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
伊達 邦実
時代 江戸時代
生誕 文政6年10月22日1823年11月24日
死没 安政6年7月7日1859年8月5日
別名 藤五郎、安房
戒名 直指院殿見山了性大居士
墓所 大雄寺(宮城県亘理郡亘理町
幕府 江戸幕府
主君 伊達慶邦
仙台藩
氏族 伊達氏
父母 父:伊達宗恒
兄弟 邦実、三沢邦為、岩城邦規、藤子(伊達邦賢室)
正室:伊達保子伊達斉義娘)
豊子(伊達邦成室)、養子:邦成
テンプレートを表示

伊達 邦実(だて くにざね)は、江戸時代後期の仙台藩一門第二席・亘理伊達家第13代当主。

生涯

文政6年(1823年)10月22日、亘理伊達家第12代当主・伊達宗恒の嫡男として生まれる。

天保6年(1835年)3月15日、仙台城元服伊達斉邦偏諱を受けて「邦実」と名乗る。[1]

弘化元年(1844年)10月10日、藩主伊達慶邦の異母妹・保子(佑姫)を娶り、弘化4年12月(西暦では翌1848年)、父・宗恒の隠居にともない家督を相続する。

安政6年(1859年)7月7日死去。享年37。邦実には六男二女があったが、二女の豊子を除いて皆夭逝したため、岩出山伊達義監の二男・邦成を豊子の婿に迎え、養嗣子とした。

正室の佑姫は保子と改名。夫の死後に落飾して貞操院と号し、維新後に養子邦実と北海道に移住して家臣とともに開拓に従事した。[2]

系譜

  • 正室:保子伊達斉義の娘)
    • 女子
    • 伊達兵力
    • 伊達初太郎
    • 豊子 - 亀久姫。伊達邦成室
    • 伊達兵力
    • 伊達虎若
    • 伊達寿
    • 伊達駒若

参考文献

  • 『亘理町史』上巻(宮城県亘理郡亘理町、1975年)
  • 伊達宗弘・伊達君代『仙台藩最後のお姫さま 北の大地に馳せた夢』(新人物往来社、2004年)
  1. ^ 亘理町史
  2. ^ 亘理町史



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊達邦実」の関連用語

伊達邦実のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伊達邦実のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの伊達邦実 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS