伊達邦孚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/28 05:44 UTC 版)
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時代 | 江戸時代 |
生誕 | 文政12年1月12日(1829年2月15日) |
死没 | 文久2年9月16日(1862年11月7日) |
改名 | 幼名:卯之助→邦孚 |
戒名 | 廣雲院元山維良 |
墓所 | 宮床覚照寺 |
氏族 | 宮床伊達家 |
父母 | 父:伊達宗賢 |
妻 | 正室:遠藤勘解由の娘 |
子 | 宗広 |
伊達 邦孚(だて くにたか、文政12年1月12日(1829年2月15日) - 文久2年9月16日(1862年11月7日))は、江戸時代の伊達氏一門。宮床伊達家第10代当主。
父は伊達宗賢。正室は遠藤勘解由の娘。子は伊達宗広。幼名卯之助。通称は式部。字は子華。号は薫園。
略歴
文政12年(1829年)1月12日、仙台藩一門宮床邑主伊達宗賢の子として宮床に生まれる。安政4年(1858年)9月9日、父宗賢の隠居により家督と知行8000石を相続し、宮床邑主となる。文久2年(1862年)9月16日死去。享年34。法号廣雲院元山維良。葬地は宮床覚照寺。家督は父宗賢が再家督の後、宗広が相続した。
人物
父宗賢と同じく勤皇家であり、詩作に優れた教養人でもあった。著作に「村居百絶」「詠物百律」がある。
参考文献
- 『宮城県黒川郡誌』
- 『仙台郷土誌』
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