伊達邦寧とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 伊達邦寧の意味・解説 

伊達邦寧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/28 05:30 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
伊達邦寧
時代 江戸時代
生誕 文政4年(1821年
死没 天保14年3月22日1843年4月21日
別名 雄三郎、安三郎、式部
墓所 養雲寺(宮城県登米市
主君 伊達斉邦慶邦
仙台藩
氏族 伊達氏
父母 父:伊達宗充
兄弟 斉邦邦寧、大立目充宣
子:邦教
テンプレートを表示

伊達 邦寧(だて くにやす)は、江戸時代後期の仙台藩一門第五席・登米伊達家第12代当主。

生涯

文政4年(1821年)、登米伊達家第11代当主・伊達宗充の子として生まれる。幼名は雄三郎

文政10年(1827年)1月25日、兄の幸五郎(斉邦)が藩主伊達斉義の婿養子となったため、父の継嗣となる。のちに斉邦から偏諱の授与を受けて邦寧と名乗る。

兄で主君の斉邦は天保12年7月24日1841年9月9日)に25歳で亡くなり、主君が交代したが、それから2年も経たないうちの天保14年(1843年)3月22日に邦寧も亡くなった。享年23。家督は嫡男の藤三郎(邦教)が相続した。

参考文献

  • 『仙台人名大辞書』



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊達邦寧」の関連用語

伊達邦寧のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伊達邦寧のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの伊達邦寧 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS