佐賀藩とは? わかりやすく解説

佐賀藩

読み方:サガハン(sagahan)

肥前佐嘉郡佐賀藩名


佐賀藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/05 02:09 UTC 版)

佐賀藩(さがはん)は、肥前国佐賀郡にあった外様肥前藩(ひぜんはん)ともいう。鍋島家が藩主であったことから鍋島藩(なべしまはん)と呼ばれることもある。明治維新を推進した薩長土肥のひとつである。現在の佐賀県長崎県の一部にあたる。藩庁は佐賀城(現在の佐賀市)に置いた。


  1. ^ 『久保田町史』「二 村田家の成立」 - 『久保田町史』久保田町史編さん委員会、久保田町(市町村合併により佐賀市サイトで公開)
  2. ^ 村川浩平『日本近世武家政権論』近代文芸社、2000年。
  3. ^ 龍造寺本家として扱われたが、鍋島家の養子を迎えてからは藩主親類としての扱いが強くなった。
  4. ^ その一方で、龍造寺一族は鍋島家をはばかって相次いで改姓し、1608年には藩内で表だって龍造寺姓を名乗るものはいなくなった。
  5. ^ ただし村田家は例外とされた。
  6. ^ 『佐賀市史』第二巻 【近世】一 佐賀藩の成立 p.15(佐賀市史編さん委員会 )
  7. ^ 藤野保『佐賀藩』吉川弘文館、2010年
  8. ^ 川副荘太田郷出身で太田資高の孫と称する資元が龍造寺家兼に仕え、のち他の竜造寺系家臣と同様に鍋島氏の家臣に組み込まれた。茂連の室は鍋島直茂の養女。
  9. ^ タイムスクープハンター(NHK総合1ch 11:30~0:00)2013年5月25日放送分 第7話『サムライたちの受験戦争』番組内説明



佐賀藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 02:04 UTC 版)

陪臣」の記事における「佐賀藩」の解説

佐賀藩は藩主鍋島家龍造寺家から支配権禅譲される形で大名となったため、龍造寺一族鍋島家支配体制確立後も尊重され、その所領家臣そのまま温存された。

※この「佐賀藩」の解説は、「陪臣」の解説の一部です。
「佐賀藩」を含む「陪臣」の記事については、「陪臣」の概要を参照ください。


佐賀藩(肥前藩)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:09 UTC 版)

江戸時代の日本の人口統計」の記事における「佐賀藩(肥前藩)」の解説

佐賀藩では本藩と小城藩蓮池藩鹿島藩各支藩を含めた領地について、武家人口含めた領内総人口統計残している。天明6年1786年)、安政元年1854年)、元治元年1864年)については幕府届け出た領民人口分かっており、計外人口は、天明6年に約142500人、安政元年195606人、元治元年183683人と求まるまた、享保17年1732年)の享保の大飢饉を挟む享保16年1731年)と享保19年1734年)の間に6万人前後人口減少起こっている。記録によると、享保18年1730年3月までに多久領で3866人、鹿島藩領で1359人の餓死者が出たとされる佐賀本藩・支藩領内総人口変遷元号西暦合計男女延宝3年 1675年 305,040 延宝4年 1676年 307,669 190,986 116,683 貞享4年 1687年 329,881 203,628 126,266 元禄12年 1699年 352,470 元禄13年 1700年 354,961 217,004 137,957 宝永3年 1706年 363,107 220,248 142,859 宝永4年 1707年 360,840 218,762 142,078 正徳3年 1713年 365,381 220,714 144,667 享保8年 1723年 367,619 219,792 147,827 享保15年 1730年 373,196 享保16年 1731年 371,956 220,555 151,401 享保19年 1734年 292,110 165,884 126,226 宝暦10年 1760年 352,804 201,184 151,620 明和3年 1766年 361,644 205,576 156,068 天明6年領民人口1786年 219,571 120,697 96,874 寛政3年 1791年 362,294 201,302 160,992 文政4年 1821年 366,877 197,862 169,015 天保15年 1844年 392,100 弘化2年 1845年 402,039 211,530 190,509 安政元年領民人口1854年 440,932245,326 元治元年領民人口1864年 434,764251,081 225,405130,294 209,359120,787 明治3年 1870年 513,449 265,950 247,499 初期の佐賀藩では出入国禁じ政策取っていたが、炭鉱開発進んだ天保年中より他国からの人口流入が引き起こり安政元年1854年)の頃には領内本籍402769人に対し他国者が38163人に増えていた。急激な人口増加傾向幕末から明治維新まで続いている。 佐賀本藩・支藩領内人口安政元年内訳人口武家 155,487 御城下 6,373 諸方詰人 600 諸家148,514 寺社家 1,956 百姓町人人口 245,326 町屋佐賀町方) 13,711 諸津 14,239 農工217,376 本領 402,769 他領38,163 総人口 440,932 佐賀本藩・支藩領内人口明治3年族籍本藩・支藩合計佐賀藩小城藩蓮池藩鹿島藩合計男女合計男女合計男女合計男女合計男女士族 30,278 15,247 15,031 23,823 12,072 11,751 3,041 1,532 1,509 1,770 865 905 1,644 778 866 卒族 53,386 27,399 25,987 43,488 22,334 21,154 4,488 2,334 2,154 3,562 1,810 1,752 1,848 921 927 社家 1,113 543 570 850 418 432 126 64 62 90 38 52 47 23 24 僧尼 4,952 3,583 1,369 4,412 3,190 1,222 173 131 42 219 151 68 148 111 37 修験 70 28 42 23 11 12 47 17 30 百姓町人 423,395 219,012 204,383 354,450 183,517 170,933 33,332 17,556 15,776 25,624 12,897 12,727 9,989 5,042 4,947 穢多 218 116 102 97 57 40 84 40 44 37 19 18 非人 37 22 15 5 3 2 32 19 13 合計 513,449 265,950 247,499 427,023 221,531 205,492 41,285 21,688 19,597 31,349 15,801 15,548 13,792 6,930 6,862 (典拠城島正祥(1973年))

※この「佐賀藩(肥前藩)」の解説は、「江戸時代の日本の人口統計」の解説の一部です。
「佐賀藩(肥前藩)」を含む「江戸時代の日本の人口統計」の記事については、「江戸時代の日本の人口統計」の概要を参照ください。


佐賀藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 06:49 UTC 版)

幕末の人物一覧」の記事における「佐賀藩」の解説

鍋島直正(佐賀藩主。閑叟) 大隈重信 江藤新平 副島種臣 大木喬任 佐野常民 島義勇 →以上7人は、佐賀の七賢人 鍋島直大(佐賀藩主。直正の子鍋島茂昌 鍋島直彬 鍋島直虎 多久茂族多久領主遠藤直正(家老石井忠躬 石井忠亮 石井松堂 石井貞興 石井富之助 伊東玄朴 枝吉神陽 朝倉尚武 山口尚芳 石丸安世 中牟田倉之助

※この「佐賀藩」の解説は、「幕末の人物一覧」の解説の一部です。
「佐賀藩」を含む「幕末の人物一覧」の記事については、「幕末の人物一覧」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「佐賀藩」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐賀藩」の関連用語

佐賀藩のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐賀藩のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐賀藩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの陪臣 (改訂履歴)、江戸時代の日本の人口統計 (改訂履歴)、幕末の人物一覧 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS