佐賀藩成立とは? わかりやすく解説

佐賀藩成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 05:22 UTC 版)

佐賀藩」の記事における「佐賀藩成立」の解説

天正12年1584年)、龍造寺隆信島原半島において島津氏有馬氏連合軍との戦いである沖田畷の戦い敗死した。その遺児である政家補佐役として実権握ったのが、重臣一人であった鍋島直茂である。天正18年1590年)には政家廃してその子高房擁立、直茂はその後人として豊臣秀吉より認められた。以後鍋島家主家圧倒することとなる。文禄・慶長の役秀吉死後関ヶ原の戦いにおいても直茂が大将として参戦した関ヶ原では西軍与したが、同じ西軍立花宗茂攻略することで徳川家康より所領安堵された。 慶長12年1607年)、江戸において高房急死した。これには、鍋島家実権握られ憤慨し失望した高房が、妻を殺害し自らも死のうとしたが果たせず、そのときの傷がもとでのちに亡くなった、という説がある。高房死後わずか1か月後には、肥前隠居していた父・政家急死した高房には遺児伯庵実弟の信清(のちの村田安良)・主膳がいたが、直茂の命で伯庵出家するなどして龍造寺本家事実上絶え隆信義兄弟の関係にあった直茂が、嫡男の勝茂に龍造寺家家督を引き継がせる形で佐賀藩357千石を手にし、名実ともに大名となった政家遺領は信清が継ぎ佐賀藩では龍造寺本家として扱われたが、慶長13年1608年4月4日付けで直茂・勝茂に忠誠を誓う起請文提出し鍋島家による領国支配確立した慶長18年1613年)、幕府より勝茂に領地安堵沙汰出たことで、ようやく安泰をみた。 徳川将軍家は、勝茂の嫡子忠直以降歴代藩主に、松平名字将軍実名一字授与した

※この「佐賀藩成立」の解説は、「佐賀藩」の解説の一部です。
「佐賀藩成立」を含む「佐賀藩」の記事については、「佐賀藩」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「佐賀藩成立」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐賀藩成立」の関連用語


2
鍋島騒動 デジタル大辞泉
76% |||||

3
16% |||||

4
4% |||||

佐賀藩成立のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐賀藩成立のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの佐賀藩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS