遺児
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:58 UTC 版)
『鶴岡八幡宮供僧次第』によれば、重衡の子とされる僧がおり、建保7年(1219年)の源実朝暗殺の際に公暁の共犯の疑いで取り調べを受けている。嫌疑はすぐに晴れたが、平家の出身者が鎌倉幕府から疑いの目を向けられていた事が伺われる。 他にも遺児の重度が重衡の処刑後に信濃国に勢力をもっていた仁科氏を頼って現在の安曇野市明科東川手名九鬼に落ち延び、そこで名を降旗氏に改め隠れ住んでいたという。 また信濃小笠原氏の系図によると、小笠原長経の次男で赤沢氏の祖である赤沢清経の母は重衡の娘と書かれている。 京都市伏見区にある善願寺の「服帯地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩坐像は、保元元年頃に重衡の安産祈願の際に七条仏所の仏師により作られたと伝わっている。また重衡の妻の藤原輔子が安産を祈願してその後無事に授かったので本堂が寄進されたという。
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