佐賀米穀取引所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 15:47 UTC 版)
1871年(明治4年)、税の納め方が米で納める米納制度から金納制度に変更されると、米穀を換金するために米穀相場を建てる米穀市場が必要となった。佐賀でも一旦設立された市場が3年と持たずに閉鎖されるなど紆余曲折の末、馬責馬場の鍋島家所有地(現在の松原4丁目)を借り受けて1888年(明治21年)に佐賀取引所が開設された。さらに1893年(明治26年)に改正取引所法が公布されると、佐賀取引所を母体に新たに佐賀米穀取引所が設立された。取引所の売り上げ、出来高は順調に伸び、佐賀経済の発展に大いに寄与したが1939年(昭和14年)取引所法が改められると、米価が一定値段に統制されたため解散した。松原町出身で日本最初の女性科学者黒田チカは父が取引所の理事を務めていたことがある。
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