経済の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 07:11 UTC 版)
王領植民地となって以降、大幅な自治が任され、バージニア植民地では比較的平和な時代が続くようになった。タバコの生産は飛躍的に増大し、船がのぼれる川に沿った土地には次々とプランテーションが築かれた。 バージニア植民地政府が置かれていたジェームズタウンでは、マラリアなどの疫病が頻繁に発生した。そのため1699年、植民地政府はジェームズタウン近郊の街ウィリアムズバーグに移転した。 バージニア植民地では黒人奴隷がプランテーションの労働力として使用されたが、18世紀を通じて白人農民も増大し、黒人奴隷が人口の過半数を占めることはなかった。広大な後背地を持っていたバージニア植民地はタイドウォーター地域の西のピートモンド地域が発展し、植民地時代末期には北アメリカ大陸の植民地で最も多くの人口を持つ植民地となった。白人人口で比較しても、最大であった。 タイドウォーター地域にも多数の中小農民がおり、西部には多くの白人農民が進出し、主として小麦を生産した。タバコは海外市場での価格変動が著しかったため、プランテーションでは作物を多様化して穀物生産に重点を置くようになった。その結果、小麦および小麦粉は、タバコに次ぐ第2の輸出商品となった。 北アメリカ大陸で最大の人口を誇ったバージニア植民地は、独立直前の1770年になっても、都市らしい都市を持たない植民地であった。植民地政府が置かれたウィリアムズバーグは人口2000人程度の街であり、バージニア植民地最大の貿易都市ノーフォークでも人口は6000人程度であった。バージニア植民地は湾と川が多い地形で、物資を運ぶ船が集中する都市ができにくかった。そのため植民地の産物を海外の市場に運んで売却する商人階級を生み出さなかった。ノーフォークに住んでいたのは、スコットランドから移住したスコットランド商人の代理人たちであった。
※この「経済の発展」の解説は、「バージニア植民地」の解説の一部です。
「経済の発展」を含む「バージニア植民地」の記事については、「バージニア植民地」の概要を参照ください。
「経済の発展」の例文・使い方・用例・文例
- 戦後経済の発展
- その事業は経済の発展に貢献している。
- これは、中国経済の発展を遅らせる要因の一つである。
- 彼は経済の発展に大きな貢献をした。
- 経済の発展はゆっくりと進んだ。
- パートタイム労働者は経済の発展に重要な役割を演じる。
- 関税によって国民経済の発展を図る政策
- 同センターは国の経済の発展のために働きたいと思っているカンボジア人に必要な情報や訓練を提供する。
- 同グループの斉藤惇(あつし)CEOは,「我々は世界の投資家から選択される市場になることをめざす。日本の金融市場や資本市場を活性化し,日本経済の発展に寄与したい。」と述べた。
- 経済の発展のページへのリンク