バージニア植民地
バージニア植民地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 05:46 UTC 版)
「ジョン・スミス (探検家)」の記事における「バージニア植民地」の解説
「ジェームズタウン (バージニア州)」も参照 1606年、スミスはロンドン・ヴァージニア会社によるバージニア植民地化計画に関わるようになった。この計画はイギリス王ジェームズ1世の勅許に基づいていた。遠征隊は3隻の小さな船、スーザン・コンスタント、ゴッドスピードおよびディスカバリーで1606年12月20日に出航した。[要出典] スミスは明らかに航海中の問題児であり、3隻の船を統括していたクリストファー・ニューポート船長はバージニアに着いたらスミスを処刑してしまおうと考えていた。しかし、現在のケープ・ヘンリーに1607年4月26日に到着したとき、バージニア会社からの封をされていた命令書を開けてみると、スミスを新しい植民地の指導者の一人に指名し、ニューポートはその副官ということになっていた。適当な定着場所を探していた5月14日に委員会議長であったエドワード・マリア・ウィンフィールドが「ジェームズタウン」となった場所を選んだ。[要出典] イギリス人たちは「ジェームズタウン」で地元のインディアン部族であるポウハタン族と「聖なるパイプ」による和平の儀式を行い、これを機にポウハタン族は白人たちに援助の手を差し伸べることになった。[要出典] ポウハタン族はこの和平の儀式でイギリス人たちと和平を結んだ。インディアンにとって「聖なるパイプ」の誓いは絶対である。したがって、このあとスミスが言いふらした「ポウハタン族によってイギリス人入植者が脅かされた」という逸話はすべて嘘である。 天候が荒れ、水は不足し、アルゴンキン語族インディアンの攻撃を受け、植民地はほとんど破壊された。スミスはイギリス本国に戻った10年近く後になって、突然「1607年12月、食糧を求めてチカホミニー川沿いを進んでいるときに、ポウハタン族に捕まり、その酋長ワフンソナコックに「ウェローコモコ」という彼らの集落に連れて行かれた」と吹聴し始めた。 スミスは「このときポウハタン酋長がスミスの処刑を命じ、百叩きによって殺されかけたが、これを見た酋長の娘の幼いポカホンタスがスミスの体の上に身を投げ出して彼を庇い、命を救われた」と回顧録で発表したのである。「私が処刑されようというまさにその時、彼女は危険を冒して私を救うために考えられるあらゆることをした。それだけでなく、彼女の父親を説得して私は無事にジェームズタウンに送り返された。」 このインディアンの社会システムを無視した「美談」は合衆国の教科書にまで載せられ、現在もあたかも真実のように語られている。これ以降、ポカホンタスは「白人を救った“良いインディアン”」の象徴として祭り上げられ、インディアンたちに現在も禍根を残している。 1608年、この年、スミスは再びポカホンタスに救われたと、のちに吹聴した。「スミスと他の植民者数人がポウハタン酋長によってウェロコモコに友好のために招かれたが、ポカホンタスがスミス達が滞在している小屋にやってきて、ポウハタンがスミスたちを殺そうと計画していると警告した。この知らせでスミスたちは哨戒の者を立て、攻撃は結局無かった」。 このスミスの「再度ポカホンタスに救われた」との武勇伝も、スミスの作り話と見られている。
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バージニア植民地
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「ジョン・ワシントン」の記事における「バージニア植民地」の解説
1656年に初めてバージニアに来て、プランテーションを経営するナサニエル・ポープ大佐の家に滞在し、娘アンと恋に落ちた。 アン・ポープと結婚し、アンの父から結婚祝いにNorthern Neckウェストモアランド郡Mattox Creekの700エーカー (2.8 km2)の土地を貰い、裕福な農場主となった。奴隷や年季奉公によるタバコやkitchen cropsの栽培に依存していた。バージニア州House of Burgessesに定住し、植民地内の政治家となった。 ベイコンの反乱につながる事件の間、バージニアの民兵大佐に任命された。敵対者やインディアンの酋長との和平交渉中にメリーランドの人を支援する一団を率いた。民兵は、様々な部族の6首長を殺し、インディアン達は虐殺に対し、入植者達を後に襲撃して報復した。ウィリアム・バークレーはインディアン酋長の殺害について、ワシントンを強く批判したが、入植者はワシントンの虐殺を支持した。インディアンと入植者との関係が悪化した。
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