ノースカロライナ植民地とは? わかりやすく解説

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ノースカロライナ植民地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/28 05:30 UTC 版)

ノースカロライナ植民地
Province of North Carolina (英語)
1712年 - 1776年
レッド・エンサイン (王室紋章(1714年 - 1776年)
国の標語: Quae Sera Tamen Respexit(ラテン語)
たとえ遅くとも、ついには報われた
国歌: God Save the King(英語)
国王陛下万歳
United_States_Navy_Band_-_God_Save_the_Queen

ノースカロライナ植民地の位置[注釈 1]
公用語 英語
首都 ニューバーン
君主
1712年 - 1714年 アン
1714年 - 1727年 ジョージ1世
1727年 - 1760年 ジョージ2世
1760年 - 1776年 ジョージ3世
変遷
カロライナ植民地の分割 1712年1月24日
独立宣言 1776年7月4日
通貨 ポンド
現在 アメリカ合衆国

ノースカロライナ植民地(ノースカロライナしょくみんち、英語: Province of North Carolina)は、1729年から1776年まで、北アメリカ現在のアメリカ合衆国ノースカロライナ州の領域に存在したイギリス植民地である。当初は領主8人によって勅許されたカロライナ植民地の一部であった。

イングランドチャールズ2世は、バージニア植民地より南でスペイン領フロリダより北の土地に1663年のカロライナ勅許を認めた。この植民地の北半分は南半分と著しく異なっていたために、また2つの地域の間の輸送や情報伝達が難しかったために、1691年から北半分に別の副知事が指名されて統治するようになった。この植民地の北と南への分割は1712年に完成し、北半分は「ノースカロライナ」と称したが、同じ植民地領主が両植民地を支配していることに変わりなかった。1719年に南半分のサウスカロライナで領主に対する反乱が起こり、1720年にサウスカロライナには総督を指名するようになったが、植民地領主はノースカロライナの知事を指名し続けた。

1729年、8人の植民地領主のうち7人から土地を買い上げる試みがイギリス政府によって10年間近く行われ、両カロライナは王室領植民地になった。最後の8分の1の取り分は(グランビル地区と呼ばれるノースカロライナの一部)、アメリカ独立宣言1776年までカートレット家の者が保持していた。

植民地の地図で2つの重要なものが作られた。ひとつは1733年のエドワード・モズリーによるものであり、もうひとつは1770年のジョン・コレットによるものであった。ノースカロライナ植民地の開拓者の多くは貧しいタバコ農家であり、この単一作物で生計を立てていた。サウスカロライナでは農家のプランテーションがかなり大規模なものであり、開拓者たちはを栽培し、それが利益を生む作物となっていた。また、サウスカロライナの人々はアイを育てており、衣類や糸を青く染める貴重な染料として使用した。

脚注

  1. ^ テネシー地区を含む

参考文献

  • Ekirch, A. Robert. "Poor Carolina": Politics and Society in Colonial North Carolina, 1729-1776. University of North Carolina Press, 1981.
  • Lefler, Hugh T., and William S. Powell. Colonial North Carolina: A History. Scribner, 1973.

関連項目

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