休戦オマーン
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休戦オマーン
(トルーシャル・オマーン) -
إمارات الساحل المتصالح
Imārāt as-Sāḥil al-Mutaṣāliḥ -
↓ 1820年 - 1971年 →
→
(議会旗) (議会章) -
-
公用語 アラビア語、英語 首都 なし -
先代 次代 アブダビ
アジュマーン
ドバイ
ラアス・アル=ハイマ
シャールジャ
ウンム・アル=カイワイン
アル・ジャジラ・アル・ハムラ
アル・ラムス
カット
第二次サウード王国
アラブ首長国連邦
ラアス・アル=ハイマ

休戦オマーンあるいはトルーシャル・オマーン(アラビア語: إمارات الساحل المتصالح、英語: Trucial States / Trucial Oman)は、アラビア半島先端のペルシア湾沿岸部に位置していた英国の保護国である。以前は欧州諸国の船を度々襲撃していたため「海賊海岸」(Pirate Coast) と呼ばれていた。
歴史
- 1820年1月8日 英国と航海自由条約を締結。休戦オマーンの成立。
- 1835年 英国と休戦条約を締結。
- 1853年 英国と永久休戦条約締結。
- 1952年 トルーシャル・オマーン議会設立。
- 1971年12月2日 アラブ首長国連邦の成立。休戦オマーンの消滅。
首長国
休戦オマーンは以下の8首長国から構成されていた。
カルバ首長国を除いた7首長国がアラブ首長国連邦の構成国である。また、各首長国の国名はそれぞれの首都となる都市の名前に由来している。
一覧
- アブダビ(1820~1971年)
- アジュマーン(1820~1971年)
- ドバイ(1835~1971年)
- フジャイラ(1952~1971年) - シャールジャより分離
- カルバ(1936~1951年) - シャールジャに併合されて消滅
- ラアス・アル=ハイマ(1820~1971年) - アラブ首長国連邦に加入したのは翌年の1972年
- シャールジャ(1820~1971年)
- ウンム・アル=カイワイン(1820~1971年)
関連項目
- マスカット・オマーン - 1970年からはオマーンとして存続しているアラビア半島東端の君主国。休戦オマーンとは別の国。
- 土侯国切手 - 一部の首長国が、主に外貨獲得を目的として発行していた郵便切手の総称。
休戦オマーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 17:43 UTC 版)
トルーシャル首長国 - 現アラブ首長国連邦の構成国。1820年から1971年にかけてはイギリスの保護領であり、イギリスが各首長国と休戦条約を締結したことでその地位が明確化されたため、「休戦オマーン」とも呼ばれる。
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