休戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 23:54 UTC 版)
イギリス軍騎兵部隊はダマスカスを目指してさらに前進していった。28日、英第4インド騎兵師団はダルアーにたどり着き、先に占領していたアラブ軍がオスマン軍負傷者を虐殺しているのを発見している。ザンデルスはダマスカスを守るため3個歩兵師団及び第3騎兵師団を配置したが、これらの部隊は戦闘と退却によって弱体化しており、イギリス軍を止めることができなかった。10月1日、ダマスカスは陥落。オスマン第3騎兵師団は後衛として戦って壊滅し、他のオスマン軍部隊は北方に向かって敗走した。イギリス騎兵はこれを追ってさらに北へ追撃を続けた。この頃からオスマン軍捕虜によりもたらされた疫病がイギリス軍内に蔓延している。アレンビーは20日にハマーの線で止まるよう命令したが、英第5インド騎兵師団はこれを無視して進撃し、25日アレッポを占領した。 10月26日、ザンデルスはアナトリアのアダナまで軍集団司令部を後退させていた。すでに第4軍司令部と第8軍司令部は消滅し、メギット戦前の戦力としてはムスタファ・ケマルの第7軍と疲弊した師団のみが残っていた。オスマン参謀本部は大慌てで首都方面およびカフカースより兵をアダナヘ移送させていた。オスマン領の中心部において最後の決戦を行うべくザンデルスは準備していたが、30日ムドロス休戦協定の締結によってオスマン帝国の敗北が決まった。
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