潜水艦部隊・特殊部隊の奮戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 04:50 UTC 版)
「イタリア海軍」の記事における「潜水艦部隊・特殊部隊の奮戦」の解説
1941年にイタリア紅海艦隊の残存艦の「エリトレア」と「ラム2」が、スエズ運河が閉鎖されたために来日し、やむなく神戸港に停泊していたが、12月11日にイタリアもアメリカに宣戦布告したために、この2隻も天津租界に拠点を置くイタリア極東艦隊の一員となり、これらイタリア極東艦隊は日本や満州国の船団護衛の補給作業や、天津と日本、東南アジアとの間の輸送にも担当し大活躍した。 マルタ島とその近辺での通商破壊戦が激化する一方で、イタリア海軍はいよいよ大型艦艇が運用できない程にまで燃料不足が深刻化していた。1942年の時点で艦艇用の燃料はほぼ底を突き、停泊していた新造戦艦3隻も最早、鉄の置物と化していた。そんな状況でも小型艦艇は奮戦を続け、海軍の特殊部隊が中立船に偽装した輸送艦「オルテラ」を拠点に多数のイギリス軍の輸送艦を撃沈している。同様に潜水艦部隊もドイツ海軍の要請で1940年8月にフランスのボルドーにBETASOMと呼ばれる基地を設け、9月から潜水艦29隻を大西洋側に回航し、休戦までに86,483トン撃沈の「タッツォーリ」、90,600トン撃沈の「アルキメーデ」など戦果を挙げた多くの潜水艦を輩出している。
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