オーストリア=ハンガリー製のアルバトロス
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「アルバトロス D.III」の記事における「オーストリア=ハンガリー製のアルバトロス」の解説
1916年秋、エスターライヒッシェ・フルークツォイクファブリク(Oesterreichische Flugzeugfabrik)社(Oeffag)は、ヴィーナー・ノイシュタットにおいてD.IIIを生産するライセンスを取得した。生産機が現れ始めたのは1917年5月だった。 Oeffag社製機は、53型、153型、253型の3つに大きく分かれ、それぞれ185馬力、200馬力、225馬力のオーストリア・ダイムラー製エンジンを搭載した。オーストリア・ダイムラーエンジンはメルツェデスD.IIIaエンジンを上回る性能を発揮した。Oeffag機は、冬季作戦を想定した、シリンダーヘッドを完全に覆った形式の冬季用カウリングを特徴とした。 オーストリアのパイロットは初期生産型のプロペラスピナーを取り外すことが多かった。飛行中にしばしば脱落したからである。153型の生産第112号機から、Oeffagは、スピナーの無い、頭部の丸い形態を採用した。意外なことに、ドイツの風洞テストでは、単純な丸い鼻の方がプロペラ効率が良く、最高速度が14 km/h向上した。 Oeffag生産型はすべて8 mmシュヴァルツローゼ機関銃2挺で武装していた。その大部分では機銃は胴体に埋めこんで設置され、そのためパイロットが機銃に触れることは困難だった。実戦では、シュヴァルツローゼ機銃は、主にプロペラ同調装置の問題から7.92 mmLMG 08/15機関銃より信頼性でいくぶん劣り、また発射率も低かった。パイロットの要望により、253型の後期生産型からは、機銃は胴体上部への配置に変更された。 Oeffagの技術者はD.IIIの翼の欠陥に着目し、下翼の肋骨と翼桁継ぎ手をより厚いものに修正した。この変更は、その他の細かい修正とあいまって、ドイツ版D.IIIを苦しませた構造欠陥問題の大部分を解決した。実戦において、Oeffag製機は、人気があり、強く、有効であることを証明した。Oeffagは1917年5月から1918年11月の休戦までの間におよそ526機のD.IIIを生産した。
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