オーストリア=ハンガリー国有鉄道会社およびハンガリー国鉄
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ハンガリー中央鉄道(Magyar Középponti Vespálya Társaság, MKpV)が南東帝国鉄道(k.k. Südostliche Staatsbahn)に引き受けられたのちに、1850年10月15日にヴァーツ - グラン(シュトゥーロヴォ)区間が、同年12月16日にグラン - プレスブルク区間がそれぞれ開業された。この路線はブダペスト - ソブ線と共にその時からオーストリア=ハンガリー帝国で重要な鉄道路線の一つとなった。1855年1月1日に南東帝国鉄道の路線は帝国特任オーストリア=ハンガリー国有鉄道会社(k.k. previliegierte Österreichisch-Ungarische Staatsbahngesellschaft, StEG)に売却された。 1883年以来ウィーン - プレスブルク - ブダペスト区間の路線は数十年間オリエント特急のパリ - コンスタンティノープル間路線の一部となった。1891年にこの路線は完全にハンガリー国鉄の所有となった。1904年には複線の工事が完了した。 1916年から1918年までバルカン列車がこの路線で運行されて、ガランタ駅でミュンヘンおよびベルリンから到着した列車が併結しブダペストへ向かった。
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