バルカン列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/09 00:26 UTC 版)
バルカン列車(ドイツ語: Balkanzug : バルカンツーク)は第一次世界大戦中の1916年から1918年にかけてドイツ帝国とバルカン半島の間で運行されていた列車である。大戦によって運休となっていたオリエント急行に取って代わるべく創設された列車であり、ベルリンまたはシュトラスブルク(現フランス領ストラスブール)、ミュンヘンなどとコンスタンティノープル[注釈 1](イスタンブール)を、中央同盟国とその占領地域のみを通って結んでいた。
注釈
- ^ オスマン帝国では市名を「イスタンブール」と称していたが、ドイツを含む西ヨーロッパでは旧称の「コンスタンティノープル」が使われており、バルカン列車の行き先もドイツでは"Konstantinopel"と表記されていた(Koschinski 2008, p. 36)。本記事中ではこのほかにも一部の地名について旧名やドイツ語による外名を用いる。
- ^ 現スロバキア、当時はオーストリア=ハンガリー帝国。ベルリン・ブダペスト急行とオリエント急行の経路の合流点。
- ^ Groß Wossek, プラハの東方。プラハ自体は経由しない
- ^ またはシュタットバーンへ乗り入れ
- ^ オーストリア(ボヘミア、現チェコ)とドイツ(ザクセン)の国境。
- ^ オーストリアとハンガリーの境界。
- ^ のちに連合国のスパイであったことが判明している。
出典
- ^ 高津 2010, pp. 339–340
- ^ 平井 2007, pp. 205–206
- ^ a b 高津 2010, pp. 340–345
- ^ 高津 2010, pp. 337–339
- ^ 平井 2007, p. 136
- ^ a b Sölch 1998, pp. 25–26
- ^ a b 平井 2007, pp. 208–210
- ^ Sölch 1998, p. 185
- ^ a b c d e f Koschinski 2008, p. 36
- ^ a b c Sölch 1998, pp. 39–41
- ^ a b c d Scharf & Ernst 1983, p. 18
- ^ a b c d Sölch 1998, p. 186
- ^ a b c Sölch 1998, p. 193
- ^ Sölch 1998, p. 198
- ^ Guizol 2005, pp. 57–58
- ^ Guizol 2005, p. 59
- ^ 平井 2007, p. 244
- ^ Sölch 1998, pp. 67–71
- ^ Sölch 1998, pp. 91–100
- ^ a b Sölch 1998, p. 189
- 1 バルカン列車とは
- 2 バルカン列車の概要
- 3 バルカン列車の位置づけ
- 4 参考文献
- 5 関連項目
- バルカン列車のページへのリンク