設立とその経緯
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ミトローパは、第一次世界大戦最中の1916年11月24日に設立された。設立当初から第二次世界大戦敗戦まで使われていた、車輪の上に鷲を頂く特徴的な社章は、版画家カール・シュルピッグの作になるものである。 ミトローパ設立の意図の一つに、当時のヨーロッパにおいて、鉄道旅客サービスを独占していた国際寝台車会社(ワゴン・リ社)に対する対抗がある。開戦前までのヨーロッパの国際列車網はパリ中心に運行されていたこともあって、大戦中その運行は麻痺しており、加えてワゴン・リ社の本社のあった連合国のベルギーは同盟国のドイツに占領されており、ワゴン・リ社の活動もほぼ停止してしまう。 しかしドイツを中心とした同盟国側においては、同盟国と東欧、中立国の北欧各国を結ぶ国際列車運行が可能だった。同盟国は新たな国際列車網の構築を画策し、そのサービス提供を行う会社としてドイツ、オーストリア、ハンガリーの鉄道事業者の手によりミトローパが設立される。同社はすぐさま1917年1月1日から1946年10月1日まで上記3か国における寝台車、食堂車のサービスの独占提供権を得て、ドイツ国内のワゴン・リ社の保有鉄道車輌を接収し、ワゴン・リ社同様のサービス提供を同盟国内やその占領地域内で行った。プロイセン王国政府が軍事的意図のもとに鉄道国有化を計画しており、他国の資本が入るのを嫌っていたために、もともと開戦以前からプロイセンを中心とした北ドイツの鉄道会社はワゴン・リ社との契約をしておらず、ワゴン・リ社は北ドイツの営業を自社の出資した子会社に任せていたこともあって移行はスムーズに行われたようである。 第一次大戦中のミトローパは、運休中のオリエント急行にとってかわるバルカン列車(ベルリン~イスタンブール)の運行を任された。この列車は、当時のドイツ帝国が敷設を目論んでいたバグダート鉄道への連絡列車として機能する予定であった。
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設立とその経緯
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南海会社は、当時危機的状況にあったイギリス財政を立て直すべく創設された。イギリスの財政状況は、その歳出のうち債務の返済・利払いと軍事費でその9割以上を占めるほどに逼迫していた。これを憂慮した当局が、公的債務整理のために設立した。ダブついていた債券と証券の一部を強制的に南海会社株に転換させ、国庫支援と南海貿易による利潤で利払い等をまかない、これによって公的債務を整理することがその目的だった。 南海会社が生み出すであろう利潤によって公債整理を行うという着想がだれによるものかは定説をみていない。小説『ロビンソン・クルーソー』の作者ダニエル・デフォーによるという説も、一部でとなえられている。
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