鉄道国有法
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- ^ 鉄道国有調査会「鉄道国有ノ趣旨概要」日本国有鉄道編『日本国有鉄道百年史』第3巻
- ^ 原田勝正 北東アジアの鉄道史における1906年 p.134.
- ^ 「鉄道国有建議案」1899年2月8日国民新聞『新聞集成明治編年史. 第十卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道国有建議案下院を通過」1899年2月15日中外商業『新聞集成明治編年史. 第十卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道国有問題哀れ握り潰し」1900年2月22日国民新聞『新聞集成明治編年史. 第十一卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 3月3日に外相辞任「加藤外相独り国有に反対」1906年3月2日東京朝日新聞、「加藤外相去る」1906年3月3日東京朝日新聞『新聞集成明治編年史. 第十三卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 第22回帝国議会衆議院議事速記録第23号
- ^ 青木 栄一『鉄道の地理学』p.94 2008年 WAVE出版 ISBN 978-4-87290-376-8
- 1 鉄道国有法とは
- 2 鉄道国有法の概要
- 3 その後の動き
- 4 脚注
鉄道国有化
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詳細は「鉄道国有法」を参照 明治時代の鉄道国有化には種々の流れがあった。1891年と1899年の経済不況時には経営困難に陥った私鉄サイドから買い上げの要望が出たが、2回とも見送られた。特に後者の場合、政府は日露戦争準備の軍備拡張を行っており財政的に無理であった。日露戦争で鉄道の有効性と私鉄割拠による不便さを痛感した軍部(特に陸軍)は、戦争後に鉄道国有化を要望した。1906年3月、国会で「鉄道国有法」が可決され、上記五大私鉄会社を含む大手私鉄17社の国有化(買収)が決まった。買収は1906年10月に始まり、1907年10月に完了した。買収前の官鉄の総営業距離は2,459 km、買収して国有化した路線の総営業距離は4,806 kmであった。買収の可否判断に際しては、国内輸送の基幹となる路線を優先することになった。当時、南海鉄道は難波 - 和歌山市間、東武鉄道は北千住 - 久喜間の営業を行っていたが、和歌山方面には買収対象である関西鉄道の路線、関東北部へは同じく日本鉄道の路線があったため、国有化の対象に一時は含まれたことがあったものの、最終的には予算問題もあって外された。
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