鉄道国有法施行まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 14:05 UTC 版)
四国島内で最初の鉄道は1888年(明治21年)10月28日に松山(現松山市) - 三津間で開業した伊予鉄道である。日本国内では4番目の私鉄であった。なお、現在まで存続している鉄道会社としては阪堺鉄道(現在の南海電気鉄道の源流)につぎ2番目に古い。 翌1889年(明治22年)5月23日に讃岐鉄道が丸亀 - 琴平間を開業した。これが現在のJR四国線の始まりとなる。讃岐鉄道は1897年(明治30年)に高松まで延長し、のちの宇高連絡船 - 瀬戸大橋線に繋がる本四間連絡の始まりとなる岡山 - 高松間の讃岐汽船航路との連絡運輸を開始した。ただし当初は鉄道会社による船舶運航はなく、現在の山陽本線となる路線を経営していた山陽鉄道によって岡山・高松間の航路が開かれたのは1903年(明治36年)のことである。なお、讃岐鉄道は1902年(明治35年)に女性給仕を登用した食堂車(喫茶室)の営業を開始している。 その後1904年(明治37年)に山陽鉄道が讃岐鉄道を買収したが、その2年後には山陽鉄道そのものが鉄道国有法により国有化され、高松 - 琴平間が四国で初めての国鉄線となった。 一方、1899年(明治32年)の徳島 - 鴨島を皮切りに、吉野川沿いに路線を延ばしていた徳島鉄道(現・徳島線)の徳島 - 船戸(現在は廃止)間が1909年(明治42年)に国に買収された。鉄道国有法によって国鉄となったのはこの2路線だけである。
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