鉄道国有化後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:12 UTC 版)
「山陽本線優等列車沿革」の記事における「鉄道国有化後」の解説
1907年(明治40年)3月 新橋駅 - 下関駅間に直通の急行列車である5・6列車を設定。全区間所要時間は上下それぞれ26時間55分・28時間45分であった。 1912年(明治45年)6月 新橋駅 - 下関駅間に、日本初となる「特別急行列車(特急列車)」の1・2列車が運転を開始した。この列車に乗るには乗車券の他に特別急行券を必要とし、山陽本線では初の有料速達列車となった。新橋 - 下関間の所要時間は上下がそれぞれ25時間8分・15分であった。 1919年(大正8年)8月 東京駅(1914年<大正3年>12月に開業し、新橋駅に代わる東京のターミナル駅となった。) - 下関駅間にそれまでの食堂車が高級な「洋食堂車」であったのに対し、大衆向けの「和食堂車」を連結した急行列車である、3・4列車が設定される。 1923年(大正12年)7月 東京駅 - 下関駅間に、それまでの特急列車であった1・2列車が一等車・二等車のみの編成だったのに対して、大衆が利用していた三等車のみで編成された特急3・4列車が新設される。食堂車も1・2列車が洋食堂車だったのに対して、3・4列車は和食堂車だった。
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