昭和20年代までの普通列車用気動車・客車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 09:05 UTC 版)
「一般形車両 (鉄道)」の記事における「昭和20年代までの普通列車用気動車・客車」の解説
戦前の気動車は機械式で単行での運用が基本とされていた。キハニ5000形が最初とされる。キハ41000形で実用化され、キハ42000形で大型化された。 戦時中には多くの地方私鉄が国有鉄道に編入され、多くの買収気動車が国鉄に車籍編入されたが、規格が統一されていないことから使い勝手が悪く、買収気動車は1950年(昭和25年)頃までに淘汰された。 客車については国有化以前に製造された客車および鉄道国有化後製造であっても、車両標準化以前の旧式構造を継続して1911年頃まで製造された客車は雑型客車と呼ばれ、1910年以降製造の、鉄道院/鉄道省/国鉄制式形式の客車は制式客車と呼ばれるが、使用の区別が明確でなく、雑多であったことから国有化以後から10系以前に製作された客車も含めて雑型客車と呼ばれることがあるが、10系以前の客車を雑形客車と呼称するのは誤りである。終戦後までは展望車など一部を除いて優等列車用と普通列車用の明確な区別がなく、普通列車用の客車は終戦後の車両不足に対処する形で戦災を受けた客車や電車の台車・台枠・鋼体を再利用して車体のみを新製した戦災復旧車である70系が製作されたが、室内は必要最小限の設備を設けた程度でその車内設備の悪さから早い内に荷物車などに改造され、後に救援車などの事業用車に再改造されたりした。また、木造客車も未だに在籍していたため、木造客車の台枠や台車、連結器などを再利用し、鋼製車体を新製した鋼体化改造車である60系が製作されたほかは優等列車への後継車両の増備や置き換えで捻出した中堅車や古参車が普通列車に充当されていた。これは客車の新車は優等列車への投入が優先されたためである。 キハニ5000形 キハ41000形(写真は関東鉄道への譲渡後) キハ42000形 オハ61系
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