戦災復旧車とは? わかりやすく解説

戦災復旧車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 08:32 UTC 版)

南海2001形電車」の記事における「戦災復旧車」の解説

戦後1・2次車のうち、戦災による被災車を復旧名義1949年富士車輌代替新造した。番号は順に2001・20022008・20092014・2804・2809・2810・2814で、これらはモハそのままクハ電装して順に202220232020・2021改番して車体新造の上復帰している。 この戦災復旧車は4次車設計基本としているが、最終型となる5次車含め全溶接でリベットはないが1段下降式の小さな窓が並ぶ重々しい造形変貌している。もっとも、車体構造そのもの3・4次車同様に形鋼通し台枠となっており、重厚な外観とは裏腹に復旧前に比して大幅な軽量化実現している。この1段下降式の側窓は特に混雑時の換気通風上はその利便性高く、扉配置含め戦後後継形式であるモハ11001・12001形にも継承された。

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戦災復旧車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 01:57 UTC 版)

西武クハ1411形電車」の記事における「戦災復旧車」の解説

クハ1411 - 1413初代)クハ1401・1402・1404(クハ1401・1402は初代) 戦災被災車の払い下げを受け、1950年昭和25年)から1952年昭和27年)にかけて復旧の上導入した6両が本グループ分類される種車モハ60形およびモハ40形41形であり、復旧に際して電装解除および台車交換実施された他は、いずれも外観上ほぼ原形保っている。前面形状が半流線型である前者クハ1411形(初代)に、前面が平妻形状である後者クハ1401形(初代)それぞれ形式区分された。 本グループ基本設計は後に製造され鋼体化車グループ継承されたが、車体リベット有無など、細部には後のグループとの相違点有したクハ1404はモハ40形両運転台車)を種車とすることから、後位寄り客用扉の引き込み方向が他車の車端部向きに対して中央向きである点が特徴であり、またクハ1413初代)モハ60形初期車種車とし、1939年昭和14年)度落成車の特徴である張り上げ屋根およびノーシル・ノーヘッダー構造そのまま竣工している。 ベンチレーター全車ともガーランド型を7個装備し、パンタグラフ台は痕跡残さず撤去された。 なお、本グループのうちクハ1411形(初代)3両については1952年昭和27年12月から1954年昭和29年5月にかけて、系列会社駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道駿豆線)へ順次譲渡され形式消滅し西武における在籍期間最短でわずか2年に過ぎなかった。 残存しクハ1401・1402・1404については1955年昭和30年4月クハ1431・1432・1434(いずれも初代)改番実施されたが、クハ1431・1432(いずれも初代)1956年昭和31年8月同年9月2度わたって駿豆鉄道譲渡されたため、本グループ後年まで西武在籍したのはクハ1434(初代)のみであった

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