戦災復旧車
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戦後、1・2次車のうち、戦災による被災車を復旧名義で1949年に富士車輌で代替新造した。番号は順に2001・2002・2008・2009・2014・2804・2809・2810・2814で、これらはモハはそのまま、クハは電装して順に2022・2023・2020・2021に改番して車体新造の上で復帰している。 この戦災復旧車は4次車の設計を基本としているが、最終型となる5次車を含め、全溶接でリベットはないが1段下降式の小さな窓が並ぶ重々しい造形に変貌している。もっとも、車体構造そのものは3・4次車と同様に形鋼通し台枠となっており、重厚な外観とは裏腹に、復旧前に比して大幅な軽量化が実現している。この1段下降式の側窓は特に混雑時の換気・通風上はその利便性が高く、扉配置を含め戦後の後継形式であるモハ11001・12001形にも継承された。
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戦災復旧車
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「西武クハ1411形電車」の記事における「戦災復旧車」の解説
クハ1411 - 1413(初代)・クハ1401・1402・1404(クハ1401・1402は初代) 戦災被災車の払い下げを受け、1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)にかけて復旧の上導入した6両が本グループに分類される。種車はモハ60形およびモハ40形・41形であり、復旧に際して電装解除および台車交換が実施された他は、いずれも外観上ほぼ原形を保っている。前面形状が半流線型である前者はクハ1411形(初代)に、前面が平妻形状である後者はクハ1401形(初代)にそれぞれ形式区分された。 本グループの基本設計は後に製造された鋼体化車グループに継承されたが、車体リベットの有無など、細部には後のグループとの相違点を有した。クハ1404はモハ40形(両運転台車)を種車とすることから、後位寄り客用扉の引き込み方向が他車の車端部向きに対して中央向きである点が特徴であり、またクハ1413(初代)はモハ60形初期車を種車とし、1939年(昭和14年)度落成車の特徴である張り上げ屋根およびノーシル・ノーヘッダー構造はそのままに竣工している。 ベンチレーターは全車ともガーランド型を7個装備し、パンタグラフ台は痕跡を残さず撤去された。 なお、本グループのうちクハ1411形(初代)3両については1952年(昭和27年)12月から1954年(昭和29年)5月にかけて、系列会社の駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道駿豆線)へ順次譲渡されて形式消滅し、西武における在籍期間は最短でわずか2年に過ぎなかった。 残存したクハ1401・1402・1404については1955年(昭和30年)4月にクハ1431・1432・1434(いずれも初代)へ改番が実施されたが、クハ1431・1432(いずれも初代)は1956年(昭和31年)8月と同年9月の2度にわたって駿豆鉄道へ譲渡されたため、本グループ中後年まで西武に在籍したのはクハ1434(初代)のみであった。
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