戦災孤児たちの救済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 22:30 UTC 版)
1945年(昭和20年)の終戦後、カツは夫が代議士であった関係で、東京都の上野駅のガード下にいる多くの戦災孤児を目にした。樺太から身一つ同然で帰国して来た引揚者たちであった。カツは行き場も明日の保障も失った子供たちを救うべく、引揚者の子供たち8人を自宅へ引き取った。松浦家から出征した子供たちは無事に帰還しており、戦争による被害はなかったが、自分の子供さえ無事なら良いとは考えず、敗戦の痛手が最も大きい戦災孤児を守ることは日本中の母の責任との考えからであった。 この時点でカツには8人の実子がいたため、一気に16人の子供の世話を強いられた。松浦家の生活も決して楽ではない中、自宅での生活に限界を感じたカツは、1か月後に近所の会館を借りて「美深国の子寮」とし、自ら寮長として、そして子供たちの親代りとして寮に泊まり込んで生活した。 また終戦直後には、美深町に引き揚げてきた無縁故者たちが公会堂を仮宿所として生活していたが、カツは彼らの生活の貧しさを見かね、町内の婦人たちを対象として婦人心友会を結成。自ら会長を務め、不幸な人々、身寄りのない人々を世話した。
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