引き揚げとは? わかりやすく解説

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ひき‐あげ【引(き)上げ/引(き)揚げ】

読み方:ひきあげ

引き上げること。「沈没船の―」「税率の―」

(引き揚げ)外国から本国帰ること。特に、第二次大戦後外地生活していた人が内地帰ったことを指す。博多浦賀舞鶴などが引き揚げ港として指定され昭和21年1946)末までに500万人以上の人々が引き揚げた


引き揚げ

自発的移動(806-1)は強制移動 1対比される後者公権力によって個人移動するように強制される場合を指す。引き揚げ 2出身国への強制的な帰国使われる強制的な移動もう一つの例は、個々人集団全部居住地からの追放 3である。避難疎開) 4という用語は一般に地震洪水戦争のような何らかの破局から身を守るために全住民移動する場合用いられる難民 5通常自分自身意志移動した人であるが、その移動は、自分の出身国に留まると迫害され恐れがあるという、強い圧力があったためである移送者 6とは元の場所から公権力によって移動させられた人である。この種移動大規模な人口移送 7人口の転送 7あるいは人口交換 8結果起こることもある。


引き揚げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/22 09:44 UTC 版)

引き揚げ(ひきあげ)とは、1945年昭和20年)8月15日日本第二次世界大戦連合国に降伏したことを受け、日本の外地[注釈 1]日本軍占領地[注釈 2] または内地ソ連軍被占領地[注釈 3] に生活基盤を有する一般(民間)日本人が日本の本土内地)へ戻されたことをいう[1][注釈 4]。引き揚げの対象となった者は引き揚げ者と呼ばれ、引揚者給付金等支給法や引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律によって給付行政の対象とされた。


注釈

  1. ^ 台湾朝鮮関東州及び南洋諸島
  2. ^ 満州国(法律上は外国)及びその他日本軍の占領地。
  3. ^ 南樺太及び千島列島
  4. ^ 軍人や軍属を召集解除または解雇し、軍籍から外すことを「復員」という。軍人軍属が日本本土以外にいる場合は、日本への帰還が完了することで最終手続きとなるため、所定の「復員手続」を済ませて、帰郷旅費を支給するまでの面倒を見ることまでが「復員業務」とされた。本項では、一般日本人の「引き揚げ」に加え、軍人軍属の「復員業務」を併せて扱う。以上は河原後掲書による。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 河原(2011年)12ページ
  2. ^ 「 戦後引き揚げ 大国の思惑/国文学研究資料館・加藤准教授 全体像描く研究書」『読売新聞』朝刊2021年7月7日(文化面)。加藤聖文『海外引揚の研究 忘却された「大日本帝国」』(岩波書店)の紹介記事。
  3. ^ 久しぶりの母国に感激の顔『大阪毎日新聞』(昭和16年11月15日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p456 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  4. ^ 第二船大洋丸にはハワイの四百四十七人『大阪毎日新聞』(昭和16年11月16日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p456
  5. ^ 第三船氷川丸が横浜入港『朝日新聞』(昭和16年11月19日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p456
  6. ^ 蘭印から高千穂丸、門司へ帰る『朝日新聞』(昭和16年11月23日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p456
  7. ^ ボルネオ、マレーには浅間丸が『朝日新聞』(昭和16年12月6日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p457
  8. ^ 在米残留邦人、龍田丸で最後の引き揚げ『朝日新聞』(昭和16年11月30日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p457
  9. ^ a b c d e f g h 河原(2011年)3ページ
  10. ^ a b 井出孫六 2008, p. 82
  11. ^ a b c 井出孫六 2008, p. 83
  12. ^ a b 井出孫六 2008, p. 86
  13. ^ 井出孫六 2008, p. 87
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 河原(2011年)4ページ
  15. ^ a b c d e 若槻(1991年)50ページ
  16. ^ a b c d 若槻(1991年)51ページ)
  17. ^ 若槻(1991年)255ページ
  18. ^ 若槻(1991年)251ページ
  19. ^ 若槻(1991年)260ページ
  20. ^ a b c d e f 若槻(1991年)261ページ
  21. ^ a b c 若槻(1991年)262ページ
  22. ^ a b c d 伊藤(1993年)134ページ
  23. ^ a b c d e 加藤(2009年)183ページ
  24. ^ a b c d e f g h i j k l 朝日新聞夕刊 2015a, p. 3「あのときそれから/サハリン残留/離別 望郷」
  25. ^ a b c d e f g h 加藤(2009年)214ページ
  26. ^ a b c d 加藤(2009年)215ページ
  27. ^ 加藤(2009年)81ページ
  28. ^ a b c d e f g 加藤(2009年)82ページ
  29. ^ a b c d e 加藤(2009年)196ページ
  30. ^ a b c d e f g h i j k 厚生省援護局(1978年)145ページ
  31. ^ a b c 若槻 1991, p. 284
  32. ^ a b c d e f g h i 厚生省援護局(1978年)147ページ
  33. ^ a b 朝日新聞夕刊 2015b, 1面「シベリア引き揚げ資料・東寺百合文書」
  34. ^ a b c 朝日新聞朝刊 2015d, 34面「守った遺産 世界へ未来へ」
  35. ^ a b c 朝日新聞夕刊 2015c, 9面「抑留、風化させぬ」



引き揚げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:26 UTC 版)

立石賢治」の記事における「引き揚げ」の解説

昭和21年(1946年)7月24日、在満邦人500余りと共に新京出発し数日かけて、遼寧省葫蘆島到着葫蘆島三週間ほど野宿して引き揚げ船待ち乗船して五日目に博多上陸。(葫蘆島在留日本人大送還父母のいる日本の国が(敗戦経て)どのようになっているかが心配でした。(中略)日本の国建て直すことがもっと大切なではないか考え、(中略)日本民族の血と(中略)日本愛する心が帰国決心させることになりました。(中略)水平線遥かに日本の国土見えてきたときにはとめどもなく涙が流れてきました。 — 立石賢治 昭和21年(1946年)8月29日七年ぶりに北海道静狩帰郷した

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引き揚げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:57 UTC 版)

内地」の記事における「引き揚げ」の解説

ポツダム宣言により、日本の主権本州北海道九州四国ならびに連合国決定する小島限定されそれ以外の地域に居る在留邦人は引き揚げされることになったその際に日本の主権及ばなくなった樺太千島列島朝鮮琉球北緯29以南南西諸島)、台湾等の地域との対比で、引き続き日本の主権が及ぶ地域指して内地」または「本土」と称した

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引き揚げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 12:25 UTC 版)

大陸の花嫁」の記事における「引き揚げ」の解説

麻山事件」、「葛根廟事件」、「牡丹江事件」、および「戦後開拓」も参照 こうした状況から、老幼婦女集団となっていた開拓団自力で逃避行強いられた幸運にも満洲越冬経験せずに帰還できた開拓団わずかに6団で、その他はハルピン等の収容所、あるいは退路絶たれたため開拓地で越冬経験した悪化する状況帰国諦め自決選んだ女性らも居た。哈達河開拓団麻山事件など、集団自決確認されているだけで48にのぼりこの他家族単位で自決目撃されている。『満洲開拓史』(1980年)では、自決による犠牲者数千人と記録されている。また子供犠牲も多い。『長野県満州開拓史』(1984年)によると、大日向村開拓団にいた16歳下の子供の犠牲では、年齢が低いほど犠牲者が多いことが分かるそうした犠牲悲惨な逃避行よるものが多いが、中には已むに已まれず母親が自ら手を掛けた事もあったとされる。その他に栄養失調発疹チフスなどで命を落とすことも少なくなかった1946年5月から開拓団の引き揚げが始まるが、それまでに全滅した開拓団10団、10以上の犠牲出した開拓団100団を数えた1956年外務省調査によると、終戦時の全在満邦人のうち約14%が開拓民であったが、死者数ではその約50%が開拓民であり、開拓団が特に過酷な条件に取残されたことが分かるまた、長野県満州開拓史』(1984年によれば開拓地で徴用された男性のうち復員出来た割合は約78%であったが、開拓団残った団員が引き揚げ出来た割合は約42%でしかない犠牲者男女比明らかではないが、陳野は在団員犠牲多く女性子供であったであろうとしている。 また、故郷帰っても、戦後の混乱の中で開拓民には住む家も耕す畑もなく、歓迎されることは少なかった1945年には引揚者生活難救済為に緊急開拓事業閣議決定され、これにより北海道などに再入植した人も多い。また、召集され夫のほうが帰国早い事も多く中には妻の帰国待たず再婚していた例もあった。

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引き揚げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 18:03 UTC 版)

カタリナ事件」の記事における「引き揚げ」の解説

2003年6月10日航空会社機長Anders Jallai)と歴史家の(Carl Douglas)はスウェーデン企業Marin Mätteknik AB協力を受けてソナー使用して水深126 m (413 ft)で撃墜されDC-3残骸発見した。しばらく後にカタリナ機も公式の墜落地点から22キロメートル (14 mi)東の地点発見された。 事件から52年後の2004年3月19日DC-3残骸は約200 m3 (7,100 cu ft)の沈殿物と共に凍結されて引き揚げられた。この残骸調査のためにムスコ海軍基地運搬/保管され2009年3月13日展示のためにリンシェーピングにあるスウェーデン空軍博物館運ばれた。2009年5月5日に79001機の1/12模型空軍博物館貸与された。

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引き揚げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/11 08:52 UTC 版)

ニュース (装甲艦)」の記事における「引き揚げ」の解説

沈没からおよそ100年後、ニュース船体下部発見された。1963年におよそ15000点の遺物と共にニュースは引き揚げられた。遺物丁寧に分類された。ニュース船体はキンストンの川沿いにある州立CSS ニュース歴史施設展示されていた。2013年からはキンストンのダウンタウンにある、空調整ったCSS ニュース南北戦争解釈センターCSS Neuse Civil War Interpretive Center)に展示されている。 現時点までで、沈没した南北戦争時装甲艦のうちで引き揚げられたのは4隻のみである。すなわち、ニュースに加えてCSS マスコギーUSS モニター及びUSS カイロである。残り沈没した両軍装甲艦は、沈没場所は判明しているが、そのままにされている他の艦艇では、南軍潜水艇H・L・ハンリーが引き揚げられ大規模な修復が行われている。

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引き揚げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 08:37 UTC 版)

U534 (潜水艦)」の記事における「引き揚げ」の解説

U-534は、"ダイナマイト・オーゲ"のあだ名を持つデンマーク人沈没船ハンターのオーゲ・イェンセン(Aage Jensen)により1986年発見されるまで41年近くの間海底横たわっていた。1993年デンマークメディア富豪であるカルステン・リー(Karsten Ree)がスポンサーとなり、ナチス金塊Nazi gold)の噂話メディアによる熾烈な取材合戦の中で潜水艦が引き揚げられた。金のお宝への望み絶たれ潜水艦には驚くべきようなものは何も搭載されていなかった。

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