南洋群島からの引き揚げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:40 UTC 版)
南洋諸島からの民間人の引き揚げは1946年1月から始まり、4月までにほぼ完了した。引き揚げた日本人の総数は約2万人であり、その内訳はパラオ地区が6010人、ヤップ地区427人、トラック地区709人、ポナペ地区7029人、ヤルート地区77人、サイパン島2253人、テニアン島2052人などである。また沖縄県出身者3万3075人は米国統治下の沖縄に直接引き揚げた。 南洋群島は、(日中戦争の戦場になった地域を除き)他の日本植民地と比べて戦禍に巻き込まれた期間が長く、サイパン島やテニアン島のように敗戦1年前に米軍に占領されたところもあった。しかし、島民の対日感情は最後まで良好で、島民による別れの踊りと『蛍の光』の合唱に送られたパラオ地区の引き揚げのように、台湾と同様、大きな混乱もないまま日本人は静かに引き揚げて行った。 しかし、南洋群島からの日本人引揚者の半数を占める沖縄県民にとっては、戦禍で荒廃し、日本から切り離された故郷への帰還となり、再び戦後の苦難の道が始まることになる。
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