南洋庁立木工子弟養成所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 00:14 UTC 版)
島民向け、1926年にコロールに開所。補習科で優秀な成績を修めたものはさらに木工子弟養成所に進んだ。南洋群島全域から17、18歳から23歳程度の優秀な生徒を集め(殆どがパラオ人であった)、制服や小遣い程度の金を支給されながら建築や日本語教育を受けた。 これら地元住人に対する高等教育は、本国から遠いドイツの植民地下では蔑ろにされていた。戦時下には島民工員養成所となり鍛冶工、自動車機械工、電気工等なども養成した。なお、現在のパラオ地域短期大学の前身でもある。
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